相続税は、相続の開始を知った日の翌日から10か月以内に、原則として現金で一括納付します。賃貸不動産が中心の相続では、預金だけでは足りず、納税資金のために不動産を売却することも少なくありません。このとき使えるのが、納めた相続税の一部を売却した不動産の取得費に加算できる取得費加算の特例(租税特別措置法39条)です。
この特例には、「相続税の申告期限の翌日以後3年以内」という期限があり、相続開始から数えるとおおむね3年10か月です。この記事では、特例の要件と計算方法、期限を過ぎてしまった裁決事例、相続した自社株を会社に売る場合の特例、そして売却が決算書や銀行の評価にどう影響するかを整理します。
- 相続・遺贈で取得し、相続税を納めた人が、相続開始の翌日から申告期限の翌日以後3年以内に譲渡すると、相続税の一部を取得費に加算できる
- 加算額=その人の相続税額 × 譲渡した財産の評価額 ÷ その人の課税価格。譲渡益が上限
- 遺産をめぐる争いが長引いても期限は延びない(平成11年5月20日裁決)
- 相続した非上場株式を発行会社に売る場合は、みなし配当課税の特例と取得費加算を併用できる
- 法人は対象外。資産管理法人への売却や自社株の買取りは、法人の純資産や現預金にも影響する
取得費加算の特例の要件
国税庁のタックスアンサー(No.3267 相続財産を譲渡した場合の取得費の特例)によると、要件は次の3つです。
- 相続や遺贈により財産を取得した者であること
- その財産を取得した人に相続税が課税されていること
- その財産を、相続開始のあった日の翌日から相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までに譲渡していること
相続時精算課税の適用を受けた財産や、相続税の課税価格に加算された贈与財産も、要件を満たせば対象になります。
期限の数え方
たとえば、2026年3月10日に相続が開始した場合、申告期限は2027年1月10日(翌日から10か月)で、その翌日以後3年を経過する日は2030年1月10日です。この日までに譲渡すれば対象になります。
譲渡の日は、原則として引渡しの日ですが、売買契約の効力発生の日を選んで申告することもできます(所得税基本通達36-12)。期限ぎりぎりの売却では、契約日と引渡日のどちらで判定するかを最初に決めておく必要があります。
加算額の計算方法
分母は、その人が取得した財産の価額(相続時精算課税の適用財産や、課税価格に加算された贈与財産を含む)の合計で、債務控除をする前の金額です。加算額は、この特例を適用しないで計算した譲渡益が上限です。
数値例
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 長男が取得した財産の合計(債務控除前) | 3億円 |
| 長男の相続税額 | 4,500万円 |
| 売却したアパート敷地の相続税評価額 | 6,000万円 |
| 取得費に加算できる相続税額 | 4,500万円 × 6,000万円 ÷ 3億円 = 900万円 |
売却価格が8,000万円、被相続人から引き継いだ取得費が1,000万円、譲渡費用が300万円なら、特例を使わない譲渡益は6,700万円です。特例により譲渡益は5,800万円になり、長期譲渡所得の税率(所得税・住民税で20.315%。2026年分)で計算すると、税額はおよそ183万円少なくなります。
相続した不動産の取得費は、被相続人の取得費と取得日を引き継ぎます(所得税法60条)。取得費が分からないと売却価格の5%で計算することになり、譲渡益が大きくなります。被相続人の売買契約書や建築請負契約書は、相続のときに必ず探しておきたい書類です。譲渡費用の範囲は不動産売却の譲渡費用に入るもの・入らないもので解説しています。
平成27年の改正
かつては、土地を売った場合に相続した土地全体に対応する相続税額を加算できましたが、平成27年1月1日以後に開始した相続からは、譲渡した財産に対応する部分だけになりました。古い解説記事の計算をそのまま使わないよう注意が必要です。
代償金を支払った場合
代償分割で他の相続人に代償金を払って不動産を取得した場合、代償金を払った分だけその人の取得した財産は実質的に少なくなっています。この場合の加算額は、譲渡した財産の評価額から代償金のうちその財産に対応する部分を差し引いて計算します(租税特別措置法関係通達39-7)。なお、支払った代償金は譲渡した財産の取得費にはなりません。
裁決事例:争いが長引いても期限は延びない
平成11年5月20日裁決(裁決事例集No.57)
- 事案:昭和61年に相続が開始したが、遺言で財産を相続させないとされた請求人らが、遺留分の減殺と遺産の範囲の確定を求めて訴訟を起こした。判決の確定に伴う平成9年3月の基本合意書に基づいて請求人は宅地の共有持分を取得し、同じ月のうちに1億5,000万円で譲渡して、取得費加算の特例を適用して申告した
- 請求人の主張:特例の期間の基準となる「相続の開始があったことを知った日」は、遺留分減殺請求訴訟の判決が確定した日と読み替えるべき
- 判断:遺留分権利者にとっての「相続の開始があったことを知った日」は、被相続人の死亡を知り、相続財産の一定額を取得しうる地位に立ったことを知った日(死亡の2、3日後)であり、判決確定の日ではない。譲渡は特例の期間(当時の規定では申告期限の翌日から2年)を過ぎているとして、請求を棄却
- 一次情報:国税不服審判所 公表裁決事例(平成11年5月20日裁決)、要旨一覧(相続財産に係る譲渡所得の課税の特例)
期限は現在3年に延びていますが、遺産分割がまとまらないことは期限の延長理由にならないという点は変わりません。分割協議が長引きそうなときは、売却する予定の不動産だけでも先に分割する、相続人全員で売却して代金を分ける(換価分割)など、期限内に売却できる段取りを考えておく必要があります。分割前の家賃の扱いは遺産分割前の家賃は誰のものかをご覧ください。
代表の相亰と髙橋が、自らの不動産投資と資金調達支援の経験から構築した独自の財務設計の手法「クレフティメソッド」で、決算書・法人化・次の融資まで設計します。初回のご相談は無料です。
不動産投資家向け税務・融資支援を見る個人と法人の違い、自社株を会社に売る場合
| 場面 | 取得費加算 | 主な注意点 |
|---|---|---|
| 相続人(個人)が第三者に売る | 適用できる | 期限と計算明細書の添付 |
| 相続人が自分の資産管理法人に売る | 適用できる(売り手は個人) | 時価での売買。法人側は取得費用・借入れが必要 |
| 法人が所有する不動産を売る | 適用されない | 法人の売却益として法人税の対象 |
| 相続人が相続した自社株を発行会社に売る | 適用できる | みなし配当課税の特例の届出が必要 |
相続した非上場株式を発行会社に売る特例
不動産を法人で持っている場合、相続人が受け継ぐのは株式です。納税資金のために、相続した株式を発行会社に買い取ってもらう(自己株式の取得)と、本来は資本金等の額を超える部分が配当所得(みなし配当)として総合課税されます。
国税庁のタックスアンサー(No.1477 相続により取得した非上場株式をその発行会社に譲渡した場合の課税の特例)によると、相続税を納める人が、相続開始の翌日から申告期限の翌日以後3年以内に発行会社に譲渡した場合は、みなし配当とせず、全額を株式の譲渡所得の収入金額とすることができます(租税特別措置法9条の7)。この場合、取得費加算の特例も併用できます。譲渡する日までに発行会社へ届出書を提出し、発行会社は翌年1月31日までに税務署へ提出する手続が必要です。
会計上の扱いと表示:売却と自社株買いは決算書をどう変えるか
企業会計は、一般に公正妥当と認められる会計基準(GAAP:Generally Accepted Accounting Principles)に従って処理します(会社法431条、法人税法22条4項)。取得費加算は個人の譲渡所得の計算だけの話で、法人の決算書には出てきません。ただし、納税資金の調達方法によっては、法人の決算書が大きく変わります。
| 方法 | 法人の決算書への影響 |
|---|---|
| 相続人が不動産を資産管理法人に売る | 法人のBSに土地・建物が増え、借入金も増える。取得時の諸費用の処理も論点 |
| 法人が自社株を買い取る | 現預金が減り、自己株式が純資産の部から控除される(純資産が減る) |
| 法人が所有不動産を売って資金を作る | 売却損益の表示区分(固定資産売却益は特別利益、販売用不動産なら売上高)は実態で判断 |
自己株式の取得は、会計上は資産ではなく純資産のマイナスとして表示されます。納税資金のために多額の自社株買いをすると、現預金と純資産が同時に減り、決算書の安全性が大きく変わります。
銀行からの見え方:納税資金の作り方で財務が変わる
- 納税のための売却:毀損物件や収益性の低い物件を売って納税すれば、借入金と現預金の両面でBSが軽くなることもある。どの物件を売るかは、相続税だけでなく債務償還年数で比べたい
- 納税資金の借入れ:物件を売らずに借入れで納税すると、借入金が増える。著書のモデルでは、債務償還年数=(借入金−現預金)÷(経常利益+減価償却費−法人税等)で、10年以内が健全、20年超は厳しい水準とされる
- 自社株買い:法人の純資産と現預金が減るため、自己資本比率や実態の純資産が下がる。プロパー融資の目安とされる「正常先+純資産1億円」(著書のモデル)を割り込まないか確認したい
- 3年10か月は短い:売却には測量、境界確認、入居者対応などで時間がかかる。期限から逆算して、相続開始後すぐに売却候補を決めることが大切
申告期限までに売却すると小規模宅地等の特例が使えなくなる土地もあります。特例を使う土地と売る土地の分け方は小規模宅地等の特例(貸付事業用宅地等)と3年要件をご覧ください。
実務のチェックポイント
| 確認項目 | 内容 |
|---|---|
| 期限 | 相続開始日・申告期限・3年経過日を一覧にしたか。契約日と引渡日のどちらで判定するか決めたか |
| 取得費の資料 | 被相続人の売買契約書・請負契約書・領収書を探したか |
| 加算額の計算 | 相続税額・課税価格(債務控除前)・譲渡資産の評価額で試算したか |
| 代償金 | 代償分割の場合、代償金を控除した計算になっているか |
| 売却先 | 資産管理法人に売る場合、時価での売買か。法人側の資金調達は可能か |
| 自社株の売却 | みなし配当課税の特例の届出書を譲渡日までに会社へ出したか |
| 手続 | 確定申告書に「相続財産の取得費に加算される相続税の計算明細書」を添付したか |
| 銀行 | 売却・借入れ・自社株買いの後の債務償還年数と純資産を試算したか |
まとめ
- 相続税を納めた人が、相続開始の翌日から申告期限の翌日以後3年以内に相続財産を売ると、相続税の一部を取得費に加算できる
- 加算額は、その人の相続税額を譲渡した財産の評価額の割合で按分した金額で、譲渡益が上限
- 遺産をめぐる争いが長引いても期限は延びない(平成11年5月20日裁決)。分割の段取りを早めに決める
- 相続した自社株を発行会社に売る場合は、みなし配当課税の特例と取得費加算を併用できる
- 納税資金の作り方(売却・借入れ・自社株買い)によって、法人の純資産や債務償還年数が変わる
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