M&Aは、会社の将来を大きく左右する経営判断です。「買収価格が高すぎた」「もっと高く売れたはずだ」。こうした結果が出たとき、決定に関わった取締役は、会社や株主から損害賠償責任を追及されることがあります。
一方で、将来の予測を含む経営判断に、結果だけで責任を負わせれば、取締役はリスクをとれなくなります。そこで裁判所は、判断の過程と内容に著しく不合理な点がない限り責任を認めない、という考え方をとってきました。いわゆる経営判断の原則です。この記事では、裁判所ウェブサイトで確認できる最高裁判決を中心に、M&Aでの取締役の責任と、中小企業の取締役がとるべき備えを整理します。
- 取締役は会社に対し善管注意義務・忠実義務を負い、任務を怠れば会社に損害を賠償する(会社法423条)。株主は代表訴訟で責任を追及できる
- アパマンショップ事件(最高裁平成22年7月15日):事業再編のための株式の買取価格は、評価額の4倍以上でも、決定の過程・内容に著しく不合理な点がなければ善管注意義務違反ではない
- 法令違反には経営判断の原則は使えない(最高裁平成12年7月7日)。脅されたなどの事情も、それだけでは責任を免れない(平成18年4月10日)
- 取締役が悪意・重過失で任務を怠れば、取引先など第三者にも責任を負う(429条、昭和44年大法廷判決)
- 備えは、検討の記録、専門家の意見、利益相反の手当て。責任限定契約・補償契約・D&O保険も選択肢になる
取締役がM&Aで負う義務と責任の全体像
取締役と会社の関係は委任に関する規定に従い(会社法330条)、取締役は会社に対して善良な管理者の注意義務(善管注意義務、民法644条)を負います。また、法令・定款・株主総会決議を守り、会社のために忠実に職務を行う義務(忠実義務、会社法355条)もあります。
| 責任 | 相手 | 要件 | 根拠 |
|---|---|---|---|
| 会社に対する損害賠償責任 | 会社 | 任務を怠ったこと(任務懈怠)と、それによる損害 | 423条1項 |
| 株主代表訴訟 | 株主が会社に代わって追及 | 会社に提訴を請求し、60日以内に会社が提訴しない場合など | 847条 |
| 第三者に対する損害賠償責任 | 取引先・債権者など | 職務について悪意または重大な過失 | 429条1項 |
| 利益相反取引の責任 | 会社 | 承認を受けた取引でも、損害が生じれば任務懈怠が推定される | 356条、423条3項 |
代表訴訟は、公開会社では6か月前から株式を持っている株主に限られますが、株式の全部に譲渡制限がある会社(多くの中小企業)では、この保有期間の要件がありません(847条1項・2項)。少数株主が一人でもいれば、取締役は責任を追及される可能性がある、ということです。株主側の権利は少数株主の権利で解説しています。
M&Aで取締役の判断が問われる主な場面は、次のとおりです。
- 買い手側:買収価格が高すぎないか、デューデリジェンス(DD)は十分か、資金調達の負担に耐えられるか
- 売り手側:会社として事業や子会社を売る場合(事業譲渡・子会社株式の売却)、価格が安すぎないか、他の選択肢と比較したか
- 利益相反:取締役自身が買い手になるMBO、オーナー一族との取引、取締役の退職金の支払
なお、オーナーが自分の株式を売る株式譲渡では、オーナーは株主として売るので、その価格について取締役としての責任は通常問題になりません。問題になるのは、会社自身が当事者になる取引です。
アパマンショップ事件:経営判断の原則を示した最高裁判決
事案の流れ
最高裁平成22年7月15日第一小法廷判決(平成21年(受)第183号、集民234号225頁)は、不動産賃貸あっせんのフランチャイズ事業を展開する会社の株主が、取締役に対して起こした株主代表訴訟です。
判決によれば、会社はグループの事業再編計画の一環として、子会社A社を別の子会社に合併させるため、まずA社を完全子会社にしようとしました。A社の株主には、事業上重要なフランチャイズの加盟店などが含まれていました。
| 時期・場面 | 内容 |
|---|---|
| 経営会議 | 役付取締役全員で構成する経営会議で、A社を完全子会社にすること、株式交換ではなく任意の合意による買取りを行うこと、価格は設立時の払込金額である1株5万円とすることを協議・決定 |
| 弁護士の意見 | 基本的に経営判断の問題で法的な問題はない、加盟店等との関係を良好に保つ必要があるなら許容範囲、との意見 |
| 株式評価 | 株式交換に備えて依頼した算定書では、1株9,709円、または類似会社比較法で6,561円〜1万9,090円 |
| 買取り | 応じなかった1社を除く株主から3,160株を1株5万円、総額1億5,800万円で買取り |
高裁と最高裁の判断
東京高裁は、5万円という価格に合理的な根拠がなく、より低い額で買取りが進まないかの調査・検討も不十分だとして、取締役らに連帯して1億2,640万円の賠償を命じました。
最高裁はこれを破棄し、取締役の責任を否定しました。判断の枠組みは次のとおりです。
- 事業再編計画の策定は、完全子会社にすることのメリットの評価を含め、将来予測にわたる経営上の専門的判断にゆだねられている
- 株式取得の方法や価格も、株式の評価額のほか、取得の必要性、会社の財務上の負担、取得を円滑に進める必要性などを総合考慮して決定でき、その決定の過程、内容に著しく不合理な点がない限り、善管注意義務に違反しない
そのうえで、設立から5年しか経っていないA社の株式を払込金額の5万円で買うことには相応の合理性があること、加盟店との友好関係の維持が事業に有益だったこと、非上場株式の評価額には相当の幅があり事業再編による企業価値の増加も期待できたことから、内容が著しく不合理とはいえないとしました。さらに、経営会議で検討し、弁護士の意見も聴取するなどの手続を経ており、決定過程にも不合理な点はないとしています(裁判所ウェブサイト)。
この判決から読み取れること
株式評価額の数倍の価格で買っても、それだけで責任を負うわけではありません。裁判所が見たのは、なぜその価格なのか(必要性・円滑さ・財務負担)と、どうやって決めたのか(会議での検討・専門家の意見)です。逆にいえば、検討の記録がなく、専門家の意見も聴いていなければ、同じ価格でも結論が変わり得ます。
経営判断の原則が及ばない、または厳しく見られる場面
法令違反:最高裁平成12年7月7日判決
最高裁平成12年7月7日第二小法廷判決(平成8年(オ)第270号、民集54巻6号1767頁)は、証券会社が取引先に損失補填をしたことをめぐる株主代表訴訟です。最高裁は、取締役の責任の原因となる「法令」には、取締役の義務を定める規定だけでなく、会社が業務を行うに際して守るべきすべての規定が含まれるとしました(裁判所ウェブサイト)。
M&Aでいえば、独占禁止法の届出、許認可の手続き、会社法の決議手続などを欠いたまま進めれば、「経営判断だった」という説明は通りません。
脅されて払った場合:最高裁平成18年4月10日判決
最高裁平成18年4月10日第二小法廷判決(平成15年(受)第1154号、民集60巻4号1273頁)は、株式を大量に取得した人物から、株式を暴力団の関連会社に売却するなどと脅された取締役らが、売却をやめてもらうために約300億円を融資金名目で交付することに同意した事案です。最高裁は、警察に届け出るなどの適切な対応が期待できないような状況ではなかったとして、やむを得なかったとして過失を否定することはできないとしました(裁判所ウェブサイト)。
株主構成が乱れた会社で、好ましくない株主から株式を買い戻すような場面では、価格だけでなく、利益供与の禁止(会社法120条)にも注意が必要です。
金融機関の取締役:注意義務の水準が高くなる
東京高裁平成29年9月27日判決(平成28年(ネ)第5534号ほか)は、経営破綻した日本振興銀行の取締役が、他社から商工ローン債権を買い取ることを承認する取締役会決議に賛成したことについて、整理回収業務を行う原告が責任を追及した事案です。取締役側はアパマンショップ事件の判決を引いて経営判断の原則を主張しましたが、原判決は、預金者から集めた資金を投じる銀行の取締役には、一般の株式会社の取締役に比べ相当程度高い水準の注意義務が課されるとして善管注意義務違反を認め、控訴審も約37億5,693万円の限度で請求を認めました(判決原文)。業種や資金の性質によって、求められる注意の水準は変わります。
利益相反:MBOやオーナー一族との取引
取締役自身が買い手になるMBOでは、取締役は「できるだけ安く買いたい」立場と、「株主のためにできるだけ高く売るべき」立場を兼ねます。経済産業省の「公正なM&Aの在り方に関する指針」(2019年6月)は、こうした構造的な利益相反がある取引で、独立した特別委員会の設置や第三者による株価算定などの公正性担保措置を示しています。上場会社向けの指針ですが、中小企業でも、少数株主がいる会社のMBOや親族間の取引では考え方が参考になります。
最高裁平成28年7月1日決定や令和8年9月30日決定(いずれも価格決定の事件)でも、独立した委員会や専門家の関与、適切な情報開示が、価格の公正さを判断する鍵になっています。詳しくは反対株主の株式買取請求をご覧ください。MBOの進め方はMBO・EBOによる事業承継で解説しています。
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見る第三者に対する責任:取引先・債権者から訴えられる場合
最高裁昭和44年11月26日大法廷判決(昭和39年(オ)第1175号、民集23巻11号2150頁)は、旧商法の規定(現在の会社法429条1項)について、取締役が悪意または重大な過失により会社に対する任務を怠り、第三者に損害を与えた場合、任務懈怠と損害の間に相当の因果関係がある限り、会社が損害を受けた結果として第三者に損害が生じた場合でも、直接第三者が損害を受けた場合でも、取締役が直接責任を負うとしました。また、代表取締役が他の者に業務を任せきりにし、その不正を見過ごした場合も、悪意または重大な過失による任務懈怠に当たるとしています(裁判所ウェブサイト)。
M&Aで無理な買収をして会社の資金繰りが行き詰まった場合、取引先や債権者から取締役個人が訴えられることもあり得ます。中小企業では、取締役が会社の借入の連帯保証人にもなっていることが多く、会社の失敗はそのまま個人の負担になります。買収資金の借入計画は、M&Aの買収資金の融資もあわせてご覧ください。
責任を軽くする仕組みと、その税務
| 仕組み | 内容 | 根拠 |
|---|---|---|
| 総株主の同意による免除 | 会社に対する責任は、総株主の同意があれば免除できる | 424条 |
| 一部免除 | 善意・無重過失なら、株主総会決議などで最低責任限度額を超える部分を免除できる | 425条・426条 |
| 責任限定契約 | 業務執行をしない取締役・監査役などと、定款の定めに基づき責任の上限を定める | 427条 |
| 補償契約 | 責任追及への対応費用や第三者への賠償金を、会社が補償する契約。内容の決定に株主総会(取締役会設置会社は取締役会)の決議が必要 | 430条の2 |
| D&O保険(役員等賠償責任保険) | 役員の責任や責任追及による損害を保険で補う。内容の決定に同じく決議が必要 | 430条の3 |
D&O保険の保険料を会社が負担した場合の税務について、国税庁は、経済産業省がまとめた取扱いを周知しています。会社が改正会社法の規定(430条の3)に基づいて保険料を負担した場合は、会社法上適法な負担と考えられることから、役員個人への経済的利益の供与はなく、給与課税は不要とされています(国税庁「令和元年改正会社法施行後における会社役員賠償責任保険の保険料の税務上の取扱いについて(情報)」令和2年9月30日)。
M&Aの株式譲渡契約では、旧オーナーが取締役を退任する際に、在任中の責任の扱いを定めることがあります。会社に対する責任を全部免除するには総株主の同意が必要なので、クロージング後は買い手(新しい株主)の同意が必要になります。一方で買い手は、表明保証違反とは別に、旧取締役の在任中の行為について会社として責任を追及する余地を残したいと考えます。どこまで免除するかは、契約交渉の論点の一つです。株式譲渡契約のポイントもご覧ください。
中小企業の取締役がとっておきたい備え
アパマンショップ事件の判決が示すとおり、責任を分けるのは判断の過程と内容です。中小企業のM&Aでも、次の記録を残しておくことが、取締役自身を守ることにつながります。
- M&Aの目的と、期待する効果(売上・コスト・人材)を文書にしたか
- 株価算定を取得し、提示価格との差の理由(シナジー、取得の必要性)を説明できるか
- DDで見つかったリスクと、その対応(価格調整・表明保証・取りやめ)を検討したか
- 資金調達後の財務負担(借入の返済・債務償還年数)を試算したか
- 取締役会や経営会議の議事録に、検討の経過と専門家の意見を残したか
- 利益相反のある取締役は決議から外れ、承認の手続き(356条・365条)を踏んだか
銀行も、買収の意思決定の過程を見ています。買収資金の融資を申し込む際には、株価算定書、DD報告書、事業計画をそろえて説明することが求められます。著書のモデルでは、債務償還年数((借入金−現預金)÷(経常利益+減価償却費−法人税等))10年以内を健全の目安としています。買収後にこの数字がどう変わるかを、取締役会の段階で確認しておくと安心です。
まとめ
- 取締役は会社に善管注意義務・忠実義務を負い、任務を怠れば会社に損害を賠償する。非公開会社では株主は保有期間に関係なく代表訴訟を起こせる
- アパマンショップ事件(最高裁平成22年7月15日):評価額を大きく上回る買取価格でも、決定の過程・内容に著しく不合理な点がなければ責任はない
- 法令違反には経営判断の原則が及ばない(平成12年判決)。脅迫などの事情もそれだけでは免責されない(平成18年判決)。銀行など業種によって注意義務の水準は高くなる
- 悪意・重過失があれば第三者に対しても責任を負う(昭和44年大法廷判決)
- 備えは、検討の記録・専門家の意見・利益相反の手当て。D&O保険は会社法の決議を経れば、保険料に給与課税されない
M&Aの意思決定に必要な株価算定、DD、セカンドオピニオンは、事業承継・M&A支援でご相談をお受けしています。代表の相亰はM&A仲介会社の役員を経験しており、事務所には大手FASや監査法人でM&A支援に携わってきた公認会計士・税理士が在籍しています。初回のご相談は無料で、担当者がお話を伺います。
