M&Aの交渉がまとまってくると、売り手と買い手は基本合意書(LOI:Letter of Intent、MOU:Memorandum of Understanding)を結びます。オーナー経営者からよく聞かれるのが、「これにサインしたら、もう後戻りできないのか」という質問です。
答えは、どの条項に拘束力を持たせたかによります。この記事では、基本合意書で決める内容を整理したうえで、独占交渉条項の効力が争われた最高裁平成16年8月30日決定と、交渉を打ち切った側の責任に関する最高裁判決を、裁判所ウェブサイトの原文で確認して紹介します。
- 基本合意書は、価格・スキーム・スケジュールなどの了解事項を確認する書面。原則として法的拘束力はない
- ただし、独占交渉権や秘密保持義務には法的拘束力を持たせるのが通常(中小M&Aガイドライン)
- 最高裁平成16年8月30日決定は、独占交渉条項の義務は、最終合意が成立する可能性が社会通念上なくなったときに消滅すると述べた
- 違反による損害は、最終合意で得られたはずの利益ではなく、最終合意への期待が侵害されたことによる損害とされた
- 交渉を打ち切る自由はあるが、相手に過大な期待を抱かせた場合は信義則上の責任を負うことがある
意向表明書と基本合意書の違い
中小M&Aガイドラインの用語集は、2つの書面を次のように説明しています。
| 書面 | 中身 | 法的拘束力 |
|---|---|---|
| 意向表明書 | 買い手が希望条件などを表明するために提出する。DD前の暫定的な条件を書く第一次、DD後の最終的な条件を書く第二次(最終)がある | 基本的に持たないことが多い |
| 基本合意書(LOI・MOU) | 売り手が特定の買い手に絞って交渉すると決めた時点の、双方の了解事項を確認する | 基本的にないが、独占的交渉権や秘密保持義務などは拘束力を認めるのが通常 |
入札手続などでは、買い手の意向表明書に売り手が応諾書を出すことで、基本合意とほぼ同様の合意をしたものとして扱うこともあります。ガイドラインは、資金繰りが厳しく時間の余裕がない場合などを除き、交渉の結果を確認し、DDに進む前に買い手に独占的交渉権を与えるなどの趣旨から、原則として基本合意を締結することが望ましいとしています。
基本合意書で決めること
ガイドラインは、基本合意に盛り込む主要な合意事項として、最終契約のスキーム、DD前の時点での譲渡対価の予定額、経営者その他の役員・従業員の処遇、最終契約締結までのスケジュールと双方の実施事項・遵守事項、条件の最終調整の方法などを挙げています。実務の条項に置き換えると、次のようになります。
| 項目 | 主な中身 | 拘束力の扱い(一般的な例) |
|---|---|---|
| スキーム | 株式譲渡か事業譲渡か、対象となる株式・事業 | なし |
| 予定価格 | DD前の予定額と、その前提(基準日の純資産など) | なし |
| 価格の調整 | DDの結果で調整する場合の考え方 | なし |
| 役員・従業員の処遇 | 雇用の維持、社長の引継ぎ期間 | なし |
| スケジュール | DD、最終契約、クロージングの予定時期 | なし |
| DDへの協力 | 資料の開示、現地調査への協力 | あり、とすることが多い |
| 独占交渉 | 一定期間、他の候補と交渉しない | あり |
| 秘密保持 | 交渉の事実と開示情報の秘密 | あり |
| 費用負担 | 各自の費用は各自が負担する | あり |
| 法的拘束力の範囲 | どの条項に拘束力があるかを明記する | ― |
| 有効期間・終了 | 期限までに最終契約に至らなければ終了する | あり |
トラブルを防ぐために最も大事なのは、「どの条項に法的拘束力があり、どの条項にないか」を書面で明記することです。後で紹介する最高裁決定の事案では、基本合意書に最終合意をする義務の定めはなく、独占交渉条項に違反した場合の制裁や違約罰の定めもありませんでした。
最高裁平成16年8月30日決定:独占交渉条項の効力
事案の流れ
大手信託銀行の事業統合をめぐる事件で、一般に「住友信託銀行対UFJ事件」と呼ばれます。決定によれば、経緯は次のとおりです。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2004年5月21日 | 抗告人(統合を求めた側)と相手方らが、信託銀行業務の営業の移転と業務提携について基本合意を締結 |
| 基本合意書12条後段 | 「各当事者は、直接又は間接を問わず、第三者に対し又は第三者との間で本基本合意書の目的と抵触しうる取引等にかかる情報提供・協議を行わないものとする」(本件条項) |
| 同年7月14日 | 相手方らが基本合意の解約を通告し、別の金融グループに経営統合を申し入れて公表 |
| 同年7月16日 | 抗告人が、2006年3月末まで第三者との情報提供・協議の差止めを求める仮処分を申立て |
| 同年7月27日・8月4日 | 東京地裁が仮処分を認容し、異議審でも認可 |
| 同年8月11日 | 東京高裁が、信頼関係が破壊され、本件条項は将来に向かって効力を失ったとして取消し・却下 |
| 同年8月12日 | 相手方らが別の金融グループと経営統合の基本合意を締結 |
| 同年8月30日 | 最高裁第三小法廷が抗告を棄却(裁判官全員一致) |
基本合意書には、最終的な合意をすべき義務を定めた規定はなく、本件条項に違反した場合の制裁・違約罰の定めもありませんでした。
判断①:独占交渉の義務は、まだ消えていなかった
最高裁は、本件条項は最終的な合意の成立に向けた交渉と密接不可分で、第三者の介入を受けずに交渉を円滑・能率的に行い、最終合意を成立させるためのいわば手段だとしました。そのため、交渉を重ねても社会通念上、最終合意が成立する可能性が存しないと判断されるに至った場合には、本件条項に基づく債務も消滅すると述べています。
そのうえで本件では、相手方らが白紙撤回を通告し、別グループとの統合交渉が結実しつつあることから、最終合意が成立する可能性は「相当低い」が、経緯全般に照らせば流動的な要素が全くなくなったとはいえず、可能性が存しないとまではいえないとして、本件条項の債務はいまだ消滅していないと判断しました。信頼関係の破壊を理由に効力が失われたとした高裁の理由づけは採りませんでした。
判断②:損害は「期待の侵害」。差止めまでは認めない
それでも最高裁は、仮処分は認めませんでした。理由は、仮の地位を定める仮処分に必要な「著しい損害又は急迫の危険を避けるため」の必要性(民事保全法23条2項)を欠くからです。
決定は、基本合意書は最終合意の成立を保証するものではなく、抗告人は成立への期待を有するにすぎないとし、本件条項違反による損害は、最終合意の成立で得られるはずの利益相当の損害ではなく、第三者の介入を排除して有利な立場で交渉を進めることにより、最終合意が成立するとの期待が侵害されることによる損害とみるべきだと述べました。そして、
- その損害は、事後の損害賠償によっては償えないほどのものとまではいえない
- 最終合意が成立する可能性は相当低い
- 2006年3月末までの長期間の差止めが認められれば、相手方らの損害は相当大きい
ことなどを総合して、保全の必要性を否定しました。
最高裁判所第三小法廷 平成16年8月30日決定・平成16年(許)第19号 情報提供又は協議禁止仮処分決定認可決定に対する抗告審の取消決定に対する許可抗告事件(民集58巻6号1763頁)。裁判所ウェブサイト(裁判例情報)
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見る交渉を打ち切った側の責任:最高裁平成19年2月27日判決
基本合意書に拘束力がない部分でも、交渉の進め方によっては責任を問われることがあります。最高裁第三小法廷平成19年2月27日判決(平成17年(受)第869号)は、ゲーム機の継続的な販売契約が締結直前に成立しなかった事案で、発注を受けていないのに200台の発注を口頭で約束し、発注書なども交付して、相手に契約が確実に成立するという過大な期待を抱かせ、開発・製造を続けさせた当事者について、契約準備段階における信義則上の注意義務違反を理由とする損害賠償責任を認めました。
最高裁判所第三小法廷 平成19年2月27日判決・平成17年(受)第869号 損害賠償請求事件(集民223号343頁)。裁判所ウェブサイト(裁判例情報)
M&Aに置き換えると、次のような場面が注意点になります。
- 買い手が「必ず買う」と言って売り手に設備投資の中止や取引先への説明をさせ、その後に一方的に撤退する
- 売り手が独占交渉を約束しながら、裏で他の候補と条件を詰める
- DDに多額の費用をかけさせた後、合理的な理由なく打ち切る
もっとも、DDの結果を見て撤退すること自体は、基本合意の想定どおりの行動です。DD後にやめられるか、費用は誰が負担するかはDDの結果を見てM&Aをやめられるかで詳しく解説します。
実務の注意点:売り手・買い手それぞれの目線
売り手が確認したいこと
- 独占交渉期間の長さ:長すぎると、他の候補を逃す。期限と、期限前でも終了できる事由(買い手の資金調達の失敗、DDの大幅な遅れなど)を定める
- 予定価格の前提:基準日、純資産の前提、価格調整の考え方を書いておかないと、DD後に大幅な減額を求められても反論しにくい
- 経営者保証の扱い:中小M&Aガイドライン第3版は、保証の解除・移行を最終契約で買い手の義務やクロージングの条件にすることを勧めている。基本合意の段階で方針を確認しておく
- 秘密保持の例外:顧問税理士・弁護士や、保証の相談をする金融機関を秘密保持の対象から外す
買い手が確認したいこと
- 独占交渉の範囲(直接・間接の情報提供や協議まで含むか)
- 違反した場合の効果。最高裁決定の事案のように違約金の定めがないと、損害額の立証は容易ではない。損害賠償額をあらかじめ定めておくこと(賠償額の予定:民法420条)も選択肢
- DDへの協力義務と、資料開示の範囲
税務と銀行の目線
税務:中間金と印紙税
- 仲介者・FAとの契約で、基本合意の締結時に中間金が発生することがあります。成功報酬の内金になるか、成約しなかった場合に戻るかを確認し、個人株主なら譲渡所得の計算で譲渡費用として扱えるかを税理士と確認します
- 株式譲渡の基本合意書は、通常、印紙税の課税文書には当たりません。一方、事業譲渡の場合は、記載内容によって課税文書に当たることがあるため、文書の作成前に確認が必要です
銀行:基本合意の頃から動き出す
買い手が買収資金を借りる場合、金融機関の審査は基本合意の前後から本格化します。売り手側も、経営者保証の解除や借入の扱いを、秘密保持に注意しながら金融機関に相談する時期です。著書のモデルでは、債務償還年数「(借入金−現預金)÷(経常利益+減価償却費−法人税等)」が10年以内を健全の目安としており、買収後の数字がこの水準に収まるかは、買い手の資金調達の確度を測る1つの物差しになります。買収資金の融資はM&A・買収資金の融資で整理しています。
まとめ
- 基本合意書は了解事項の確認。原則として拘束力はないが、独占交渉・秘密保持には拘束力を持たせるのが通常
- どの条項に拘束力があるかを明記することが、後のトラブルを防ぐ
- 最高裁平成16年8月30日決定:独占交渉の義務は、最終合意の可能性が社会通念上なくなったときに消える。違反の損害は期待の侵害で、差止めの必要性は否定された
- 最高裁平成19年2月27日判決:相手に過大な期待を抱かせて準備を続けさせた側は、信義則上の責任を負いうる
- 独占交渉期間、価格の前提、経営者保証、秘密保持の例外は、基本合意の段階で詰めておく
基本合意の前後の流れはM&Aはどう進むのか、最終契約の中身は株式譲渡契約の要点と表明保証違反の判例をご覧ください。クレフティでは事業承継・M&A支援として、基本合意の予定価格の前提となる株価の算定、財務・税務デューデリジェンス、契約条件の税務面の確認をお受けしています。初回のご相談は無料です。担当者がお話を伺い、その後は担当の公認会計士・税理士が対応します。
