「M&Aで会社を売る」と聞くと、買い手を見つけて契約書に判を押すまでを思い浮かべる方が多いかもしれません。実際のM&Aの流れはもっと長く、準備から引継ぎまでいくつもの工程があり、それぞれに契約書、税金、銀行との調整がついて回ります。
この記事では、中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」(2024年8月)が示すフローに沿って、中小企業の株式譲渡を中心に、各工程で何をするのか、どれくらいの期間がかかるのかを整理します。代表の相亰はベンチャーのM&A仲介会社で役員を経験しており、クレフティには大手FASで財務デューデリジェンスや株価算定を手がけた公認会計士も在籍しています。その立場から、オーナー経営者がつまずきやすい点もあわせてお伝えします。
- 中小M&Aは「相談・準備 → 仲介者・FAの選定 → バリュエーション → マッチング → 交渉・トップ面談 → 基本合意 → DD → 最終契約 → クロージング → 引継ぎ」と進む
- いちばん先にやるべきことは支援機関への相談と、株式・事業用資産の整理・集約
- 期間は案件ごとに大きく違う。ガイドラインの計算例でも業務期間は4か月〜1年と幅がある
- 最終契約で終わりではない。経営者保証の解除、従業員・取引先への報告、名義変更まで見届ける
M&Aの全体像:中小M&Aガイドラインが示す10の工程
中小M&Aガイドラインは、譲り渡し側(売り手)が経験する工程を次のように整理しています。名称は少し硬いですが、順番を頭に入れておくと、仲介者やFAから説明を受けたときに「いま全体のどこにいるのか」が分かります。
| 工程 | 主な中身 | 主な書類 |
|---|---|---|
| ① 相談・意思決定 | 支援機関への相談、後継者不在の確認、引退後の希望条件の整理 | 直近3年分の決算書・税務申告書 |
| ② 仲介者・FAの選定 | 業務形態・手数料・業務範囲を比較して契約 | 仲介契約書・FA契約書、重要事項説明書 |
| ③ バリュエーション | 株式価値・事業価値の目安を出す | 評価資料 |
| ④ マッチング | ノンネームシートで打診し、関心のある先と秘密保持契約 | ノンネームシート、秘密保持契約書、企業概要書(IM) |
| ⑤ 交渉・トップ面談 | 経営者同士の面談、条件のすり合わせ | 意向表明書 |
| ⑥ 基本合意 | 予定価格、スキーム、スケジュール、独占交渉権などを確認 | 基本合意書 |
| ⑦ デューデリジェンス(DD) | 買い手が財務・法務・税務などを調査 | 開示資料一式、DD報告書 |
| ⑧ 最終契約 | 価格、表明保証、補償、前提条件などを確定 | 株式譲渡契約書など |
| ⑨ クロージング | 株式の譲渡と代金の決済 | 株主名簿の書換え、取締役会議事録など |
| ⑩ クロージング後 | 役員・従業員・取引先への報告、名義変更、保証解除、引継ぎ | 各種変更届 |
ガイドラインは、小規模な案件ではより簡易な形で進めるのが現実的な場合も多いとしたうえで、すべての手続を厳格に行うことを求めるものではないと断っています。ただ、省略した工程のリスクは、最終的に売り手と買い手が負うことになります。
準備段階:相談、意思決定、そして「磨き上げ」
まず相談する。意思決定の前だからこそ
ガイドラインは、売り手の経営者がまず行うべきことは身近な支援機関への相談だとしています。相談先として挙げられているのは、商工団体、士業等専門家(公認会計士・税理士・中小企業診断士・弁護士など)、金融機関、M&A専門業者、公的機関である事業承継・引継ぎ支援センター、日本政策金融公庫などです。
相談の時点で用意するのは、直近3年分の税務申告書・決算書・勘定科目内訳明細書の写しで十分とされています。マイナスの情報や後ろめたい情報ほど先に伝えるべきだ、という記載もあります。後から発覚するほど、価格や条件への影響が大きくなるからです。
株式と事業用資産を整理する
M&Aを実行するためには、最低限、株式・事業用資産の整理・集約が必要です。
- 株式:株式を全部譲渡するには、基本的に売り手側が全株式をまとめておく必要がある。重要な決議に備えて総議決権の3分の2以上を持っておくことが望ましいとされる。名義株、所在不明株主、株券の管理状況も確認する
- 事業用資産:本社の土地が社長個人名義、担保が付いている、遺産分割で争われている、といった資産は、引継ぎ後の事業継続に支障が出る
- 会社と個人の財産:家族経営では会社の財産と経営者個人の財産が混ざっていることが多い。会社名義の自家用車、社長個人名義の事業用土地などを整理しておく
株式が分散している会社は、この段階に最も時間がかかります。詳しくは株式が分散しているリスクと売る前の磨き上げで解説しています。
仲介者・FAの選定から基本合意まで
仲介者かFAかを選び、契約内容を確認する
M&A専門業者には、売り手と買い手の双方と契約する仲介者と、一方とだけ契約するFA(フィナンシャル・アドバイザー)があります。ガイドラインは、契約前に、業務範囲、手数料(着手金・月額報酬・中間金・成功報酬、最低手数料)、専任条項、直接交渉の制限、テール条項などを書面で説明するよう求めています。違いと選び方はM&A仲介とFAの違い、手数料の計算はM&Aの手数料(レーマン方式)をご覧ください。
バリュエーションとマッチング
次に株式価値の目安を出します。ガイドラインによれば、中小M&Aでは簿価純資産法、時価純資産法、類似会社比較法(マルチプル法)で算定した額を基に交渉することが多く、純資産に数年分の利益を加える方法がとられることもあります。ただし、算定額がそのまま譲渡額になるわけではなく、最後は当事者が合意した金額が譲渡額です。
マッチングでは、会社名が分からないノンネームシート(ティーザー)を、数十社程度の候補リスト(ロングリスト)の先に送って打診し、関心を示した数社(ショートリスト)と秘密保持契約を結んでから、実名入りの企業概要書(IM)を渡すのが通常の流れです。詳しくは秘密保持契約・ノンネームシートとIMで解説します。
トップ面談、意向表明、基本合意
候補先が絞れたら、経営者同士が会うトップ面談を行います。ガイドラインは、トップ面談を、買い手の経営理念や経営者の人間性を直接確かめる重要な機会と位置づけています。買い手は条件を意向表明書で示し、おおむね条件がまとまったら基本合意書を結びます。基本合意書には、スキーム、DD前の時点での予定価格、役員・従業員の処遇、スケジュール、独占交渉権などを盛り込みます。どこまで法的拘束力があるかは基本合意書(LOI)の拘束力と独占交渉義務の判例で、最高裁の決定とあわせて説明します。
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見るDDから最終契約・クロージングまで
デューデリジェンス(DD)
DDは、主に買い手が、売り手の財務・法務・税務・事業などの実態を調べる工程です。中小M&Aでは、税務申告書の確認と経営者へのヒアリングだけで終えることもあるとガイドラインは記載しています。一方で、DDが十分でないと、最終契約で売り手が負う表明保証の範囲や補償額・補償期間が重くなりうるとも指摘しています。DDは買い手のためだけでなく、売り手にとっても重要な工程です。
最終契約
DDの結果を踏まえて再交渉し、最終契約を結びます。株式譲渡契約で決める主な事項は、譲渡対象、譲渡時期、譲渡対価、支払方法、役職員の処遇、経営者保証の扱い、表明保証、補償、クロージングの前提条件、競業避止義務、解除事由などです。ガイドライン第3版は、経営者保証の扱い、表明保証の内容、分割払い、アーンアウトなど、最終契約後にトラブルになりやすい7つのリスク事項を挙げています。中身は株式譲渡契約の要点とアーンアウト・分割払いで取り上げます。
クロージング
株式の譲渡と代金の支払を行う日です。代金が確実に入金されたことを確認し、借入金の担保解除が必要なら事前に金融機関と調整します。ガイドラインは、最終契約からクロージングまでに特段の事情なく2か月以上などの期間を置くと、業績の変化などで契約の修正や不履行のリスクが生じると注意しています。
期間の目安:何か月かかるのか
M&A全体の期間について、公的な統計で「平均〇か月」と言い切れる数字はありません。参考になるのは、ガイドラインが手数料の具体例として置いている次のケースです(いずれも計算例のための想定)。
| ガイドラインの計算例 | 譲渡額 | 業務期間 |
|---|---|---|
| 事例1(株式譲渡) | 1億円 | 6か月 |
| 事例2(株式譲渡) | 5億円 | 1年 |
| 事例3(事業譲渡) | 3,000万円 | 4か月 |
| 事例4(株式譲渡) | 5,000万円 | 10か月 |
実務で期間を左右するのは、主に次の点です。
- 準備の状況:株式の集約、名義株の整理、会社と個人の財産の分離が済んでいるか
- マッチングの難易度:業種、地域、財務状況、希望価格によって候補先の数が変わる
- DDの範囲:法務・労務・不動産まで調べるか、資料がすぐに出てくるか
- 許認可・契約の承継:チェンジ・オブ・コントロール条項のある契約、許認可の扱い
- 金融機関との調整:経営者保証の解除や借入の扱い
準備に時間がかかる会社ほど、売ると決める前の段階から手をつけておく意味があります。
各段階で押さえる会社法・税金・株価・銀行・従業員の論点
| 論点 | 主な内容 |
|---|---|
| 会社法 | 譲渡制限株式の譲渡は会社の承認が必要(会社法136条以下。承認機関は取締役会設置会社なら原則取締役会、それ以外は株主総会:同法139条1項)。事業譲渡を選ぶなら、事業の全部や重要な一部の譲渡に株主総会の特別決議が必要(同法467条1項、309条2項11号) |
| 税金 | 個人株主が株式を売った利益は申告分離課税で、税率は20.315%(所得税15%・住民税5%・復興特別所得税)。役員退職金と組み合わせる場合は、退職の実態がないと否認されるリスクがある |
| 株価 | 相続税評価額、税務上の時価、M&Aの交渉価格は別物。買い手は正常収益力、ネットデット、運転資本などから価格を考える |
| 銀行 | 経営者保証の解除・移行、借入契約のチェンジ・オブ・コントロール条項、担保の解除 |
| 従業員・取引先 | 情報開示のタイミング、キーマンの引留め、取引契約の継続 |
税金の詳細は個人株主が株式を売ったときの税金、銀行への伝え方は従業員・取引先・銀行に売却をどう伝えるかで解説します。
銀行の目線:買い手の資金と、売り手の保証
売り手にとって見落としやすいのが、買い手が代金を払えるかと、自分の経営者保証が外れるかです。ガイドライン第3版は、売り手の経営者保証を引き継ぐ想定だったのに移行しない買い手の存在を指摘し、保証の解除・移行を最終契約で買い手の義務やクロージングの条件として明記することを勧めています。
買い手が融資を使う場合、銀行は買収後の会社が借入を返せるかを見ます。著書のモデルでは、債務償還年数を「(借入金−現預金)÷(経常利益+減価償却費−法人税等)」で計算し、10年以内を健全の目安としています。買収資金を借りた後の数字がこの目安から大きく外れる買い手は、資金調達や代金の支払に不安が残ります。クレフティでは、専門職(年商5,000万円)の9,000万円のM&Aで、政府系金融機関と地方銀行の協調融資(買収資金と統合後の運転資金)の承認を支援した事例があります。買い手側の融資の考え方はM&A・買収資金の融資、経営者保証は経営者保証の解除もあわせてご覧ください。
クロージング後:売り手がやること
クロージング後も、売り手の経営者には引継ぎへの協力が求められます。ガイドラインが挙げる主な作業は次のとおりです。
- 役員・従業員、取引先へのクロージングの報告
- リース契約・賃貸借契約・金銭消費貸借契約などの名義変更、経営者保証の解除、保証人の変更
- 業務フローの引継ぎ、業務管理体制の構築
売却後に会社に残る場合の役割や報酬、競業避止義務は、売却後、オーナーは会社に残るのかで詳しく取り上げます。
まとめ
- M&Aは、相談・準備から引継ぎまでの10の工程で進む。全体像を知っておくと、いま何を決める段階かが分かる
- 最初の一歩は支援機関への相談。直近3年分の決算書・税務申告書があれば相談できる
- 株式の集約、名義株、会社と個人の財産の分離は、売ると決める前から着手しておく
- 期間は案件ごとに違う。ガイドラインの計算例でも業務期間は4か月〜1年と幅がある
- 最終契約で終わりではない。経営者保証の解除や名義変更まで確認する
クレフティでは事業承継・M&A支援として、売却前の株価の目安づくり、株主構成の整理、財務・税務デューデリジェンス、契約条件の確認まで、売り手・買い手のどちらか一方の立場でご相談をお受けしています。初回のご相談は無料です。担当者がお話を伺い、その後は担当の公認会計士・税理士が対応します。
