「会社を売るなら、いつがいいのか」。M&Aを考え始めたオーナー経営者が、最初に悩むのが会社の売り時です。業績が良いときに売るべきか、もう少し利益を伸ばしてからか、引退する年齢に合わせるべきか。答えは会社ごとに違いますが、考えるための物差しはあります。
この記事では、売り時を業績、経営者の年齢と健康、市場環境、税制の4つから整理します。中小企業庁の中小M&Aガイドライン(第3版)に掲載されている「決断が遅れたために低い金額で譲渡した事例」や、社長の引退年齢、取引倍率の公表データも紹介します。
- 売り時は「業績が伸びている」「経営者が元気で引継ぎに関われる」「買い手が多い」が重なる時期。どれか1つだけでは決まらない
- 準備からクロージングまでは時間がかかる。中小M&Aガイドラインは、マッチングだけで数か月~1年程度かかるとしている
- 業績が悪化してからの売却は条件が悪くなりやすい。ガイドラインには、決断が遅れて当初のオファーより相当低い額で譲渡した事例がある
- 譲渡益が大きい場合、2027年分以後は高所得者の追加負担が重くなる。売却の年も含めて試算する
売り時を決める4つの物差し
会社の売り時を考えるときの物差しを、先に一覧にしておきます。
| 物差し | 売りやすい状態 | 売りにくい状態 |
|---|---|---|
| 業績 | 売上・利益が伸びている。直近3期の数字が安定している | 赤字が続いている。主要取引先を失った直後 |
| 経営者の年齢・健康 | 元気で、売却後も一定期間引継ぎに関われる | 体調を崩して引継ぎができない。判断が遅れている |
| 市場環境 | 業界の買い手が多い。金融機関が買収資金を出しやすい | 業界全体が縮小している。買い手の資金調達が難しい |
| 税制・制度 | 税負担の見通しが立っている | 改正の前後で負担が大きく変わる年をまたぐ |
このうち、経営者が自分で動かせるのは業績と準備です。年齢は待ってくれず、市場環境は選べません。だからこそ、「良い条件がそろったら売る」ではなく、「いつでも売れる状態にしておき、条件が重なった時期を逃さない」と考えるのが現実的です。全体の流れはM&Aはどう進むのかで解説しています。
業績から見た売り時:伸びている間に動き出す
買い手は「これから」の利益を買う
買い手が会社に払う価格は、過去の利益ではなく、これから生み出す利益に対する期待で決まります。直近の業績が伸びていて、その理由を説明できる会社は、将来の利益を描きやすく、評価が高くなりやすくなります。逆に、利益が下がり続けている会社は、「この先も下がるのでは」と見られ、価格が下がるか、買い手が見つかりにくくなります。
中小企業庁が公表している「登録支援機関を通じた中小M&Aの集計結果」(2024年度、株式譲渡の譲渡側1,987件)では、事業価値(EV)をEBITDA(営業利益+減価償却費)で割った倍率の中央値は7.3倍、真ん中の半数は3.6倍から15.5倍に分布しています。同じ利益でも倍率に大きな幅があるのは、成長性や安定性など個別の事情で評価が変わるからです。詳しくは中小企業M&Aは正常EBITDAの何倍で取引されるかをご覧ください。
「ピークで売る」は難しい
業績のピークで売れれば理想ですが、ピークは過ぎてから分かるものです。しかも、M&Aは思い立ってすぐに成約するものではありません。
| 工程 | 期間の目安 | 根拠・備考 |
|---|---|---|
| 売却前の準備(磨き上げ、資料の整理) | 会社の状態による | 決算書、契約書、株主の整理など |
| マッチング(相手探し) | 数か月~1年程度 | 中小M&Aガイドライン(第3版) |
| 交渉・基本合意・DD・最終契約 | 案件による | 規模やDDの範囲で変わる |
| 引継ぎ(クロージング後) | 案件による | 経営者の関与期間は契約で決める |
ガイドラインは、マッチングだけで数か月から1年程度かかることが見込まれるとし、早期に判断して動き出すことが重要だと述べています。業績が伸びている間に準備を始めておけば、良い数字が続いているうちに交渉の席に着けます。準備の中身は売る前の磨き上げで解説します。
決断が遅れた事例:ガイドラインの参考資料から
中小M&Aガイドラインの参考資料「中小M&Aの事例」には、意思決定のタイミングが条件に影響した例が紹介されています。
- 売上高2億円、従業員15名、業歴40年のギフト用品販売の会社。高齢の創業者が実権を握り続け、取扱商品や販売方法が時代に合わなくなって売上が減り、2期連続の経常赤字に
- 地域銀行の紹介で事業承継・引継ぎ支援センターに相談し、他地域への進出を考える同業の会社が譲り受けの意思を固めた
- ところが交渉の間に業績と資金繰りが急激に悪化。取引先と従業員を守るため、代金の早急な支払いを条件に、当初のオファーよりも相当低い金額で事業譲渡した
- 雇用と取引は守れたものの、決断が遅れて低額での譲渡になったことに後悔が残った
ガイドラインは本文でも、決断が遅れるほど選択肢は狭まる傾向にあり、業績が良くない場合には資金繰りが尽きて身動きが取れなくなるケースや、廃業費用すら捻出できない状況に陥るケースもあると注意しています。赤字や債務超過でも売れる可能性はありますが(赤字・債務超過の会社は売れるか)、資金繰りに余裕があるうちに動くことが、条件を守るうえで大きな差になります。
経営者の年齢と健康から見た売り時
社長は平均で何歳で交代しているか
帝国データバンクの「全国『社長年齢』分析調査(2025年)」によると、社長の平均年齢は60.8歳で、2025年に交代した社長の交代前の平均年齢は68.5歳、交代後の新社長は52.8歳でした。また、2026年版中小企業白書が引用する同社のデータでは、2025年に休廃業・解散した企業の経営者の平均年齢は71.5歳です。
M&Aでは、売却したあとも一定期間、売り手の経営者が引継ぎのために残ることがよくあります。取引先への紹介、技術やノウハウの伝承、従業員の不安への対応は、経営者本人にしかできないことが多いからです。引継ぎに1~2年関われる体力と気力があるうちに売却を終えるには、引退したい年齢から数年さかのぼって準備を始める必要があります。売却後の関わり方は売却後、オーナーは会社に残るのかで取り上げています。
健康問題は突然やってくる
経営者が急に倒れると、売却どころか会社の運営そのものが止まりかねません。代表取締役がいない状態では契約も結べず、交渉の途中で亡くなれば、株式は相続人の共有になり、売却には相続人全員の協力が必要になります(売却の途中でオーナーが亡くなったら)。年齢を重ねるほど、「まだ大丈夫」という判断のリスクは大きくなります。
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見る市場環境から見た売り時
買い手は増えている
2026年版中小企業白書によると、日本企業のM&A件数(レコフデータ調べ)は2023年4,015件、2024年4,700件、2025年5,115件と増えています。公的窓口である事業承継・引継ぎ支援センターの第三者承継の成約件数も、2025年度に2,265件と過去最多を更新しました。後継者不在の会社を引き継ぐ選択肢としてM&Aが定着し、買い手の層も厚くなっています(中小企業M&Aの件数と最近の傾向)。
業界と金融の環境
市場環境は、全体の件数よりも自社の業界の動きが重要です。同業の再編が進んでいる、人手不足で同業が人材と拠点を求めている、といった業界では、買い手が見つかりやすくなります。逆に、業界全体が縮小している場合は、早めに動いたほうが買い手の選択肢が残ります。
買い手が買収資金を借入でまかなう場合、金融機関が融資を出しやすいかどうかも価格に影響します。金利が上がれば、同じ返済額で借りられる金額は減り、買い手が出せる価格の上限も下がりやすくなります。市場環境は自分では選べないからこそ、いつでも動ける準備をしておくことに意味があります。
税制から見た売り時
税金も、売却の年によって負担が変わることがあります。
| 項目 | 内容 | 売り時との関係 |
|---|---|---|
| 株式の譲渡益の税率 | 所得税・復興特別所得税・住民税で合計20.315%。2027年分以後も合計は同じ | 年による差はない |
| 極めて高い所得への追加負担 | 2026年分までは特別控除額3億3,000万円・税率22.5%、2027年分以後は1億6,500万円・30% | 譲渡益が数億円規模なら、2026年中の売却と2027年以後で負担が変わりうる |
| 役員退職金 | 役員としての勤続年数が5年以下だと2分の1課税が使えない | 退職金と組み合わせるなら勤続年数を確認 |
| 事業承継税制(特例措置) | 特例承継計画の提出期限は2027年9月30日、対象は2027年12月31日までの贈与・相続等 | 親族内承継と売却で迷っている場合、判断の期限になる |
追加負担の見直しは、令和8年度税制改正で決まったものです(財務省「令和8年度税制改正の大綱の概要」)。売却代金の受け取り方(一括か分割か、退職金を組み合わせるか)によっても、どの年の所得になるかが変わります。詳しくは個人株主が株式を売ったときの税金と金融所得課税の強化とオーナーへの影響をご覧ください。
ただし、税金のためだけに売り時を決めるのは本末転倒です。税負担の差より、業績の悪化や交渉の決裂のほうが、手取りに与える影響はずっと大きくなりえます。税金は同じ条件なら有利な年を選ぶための材料と考えてください。
銀行・従業員・取引先から見たタイミング
決算の直後は交渉しやすい
買い手は、直近の決算書と試算表をもとに価格を考えます。決算が確定した直後は、最新の数字で説明でき、交渉を進めやすい時期です。逆に、決算期をまたぐと、新しい決算の数字次第で前提が変わることがあります。月次の試算表を毎月きちんと締めておくと、いつ交渉が始まっても数字で説明できます(銀行に出す前の決算書のチェック)。
借入と経営者保証
借入が多い会社でも売却はできますが、買い手は借入の残高と返済の負担を必ず見ます。著書のモデルでは、債務償還年数((借入金−現預金)÷(経常利益+減価償却費−法人税等))10年以内を健全の目安としていますが、この数字が良い状態の会社は、買い手から見ても安心材料になります。売却時には、売り手の経営者保証をどう外すかも交渉の論点になります(M&Aで経営者保証を外すための実務)。
人の節目
幹部社員の退職や世代交代、主要取引先の担当者の交代など、人の節目も売り時に影響します。キーマンが辞める前に、買い手との間で引継ぎの体制を決めておけると、評価の低下を防げます(売却時に幹部・キーマンをどう引き留めるか)。
- 直近3期の決算書と月次の試算表で、業績を数字で説明できるか
- 引退したい年齢から逆算して、準備・マッチング・引継ぎの期間を確保できるか
- 自社の業界で、同業の再編や買収の動きがあるか
- 業績が悪化し始めたとき、資金繰りに余裕があるうちに相談できる先があるか
- 譲渡益の規模と、2026年・2027年の税負担の違いを試算したか
- 株主・不動産・契約など、売却の妨げになるものを整理したか
まとめ
- 会社の売り時は、業績・経営者の年齢と健康・市場環境・税制の4つが重なる時期。自分で動かせるのは業績と準備
- 買い手は将来の利益を買う。業績が伸びている間に準備を始め、良い数字が続いているうちに交渉できるよう逆算する
- 中小M&Aガイドラインは、マッチングに数か月~1年程度かかるとし、決断の遅れで当初のオファーより相当低額での譲渡になった事例を紹介している
- 社長の交代前の平均年齢は68.5歳(帝国データバンク、2025年)。引継ぎに関われる体力があるうちに売却を終える
- 譲渡益が大きい場合は、2027年分以後の追加負担の見直しも踏まえて売却の年を試算する
クレフティの代表の相亰はベンチャーのM&A仲介会社で役員を経験し、公認会計士・税理士の三浦孝友は大手FASでバリュエーションや財務DDに携わってきました。事業承継・M&A支援では、売却を検討する前の株価算定、手取り額の試算、売却に向けた準備の進め方をご相談いただけます。初回のご相談は無料で、担当者がお話を伺います。
