企業価値と株価

役員報酬・オーナー個人の経費の正常化|M&Aで利益をどう引き直すか、税務調査で否認された裁決事例

「うちの会社は、社長の報酬を差し引くと利益はほとんど出ていません」。中小企業の決算書では、こうしたことがよくあります。オーナー経営者は、会社の利益と自分の報酬、家族への給与、会社で負担する個人的な経費を、税金や家計の事情に合わせて調整しているからです。

M&Aでは、こうした数字を「買い手が引き継いだ後の姿」に引き直す作業を行います。これが役員報酬・オーナー個人の経費の正常化です。この記事では、正常化の考え方と、税務調査で問題になった国税不服審判所の裁決事例、売却前に整えておきたいこと、銀行の見方までを整理します。

この記事の結論
  • M&Aの価格は「社長が抜けた後に普通に経営したらいくら稼げるか」で考える。役員報酬と個人経費は、その前提に合わせて引き直す
  • 報酬が高すぎる会社は利益が上がる方向に、低すぎる会社は下がる方向に調整される
  • 個人的な経費は利益に足し戻される一方、税務上は役員給与(損金不算入)と源泉所得税のリスクとして見られる
  • 国税不服審判所は、家族役員の報酬や代表者の会合費用などで、損金不算入とした裁決を公表している
  • 売却前の報酬の見直しは、定期同額給与のルールと売却時期をあわせて設計する

なぜ役員報酬と個人経費を「正常化」するのか

中小企業の役員報酬は、会社の利益に法人税がかかるか、個人に所得税がかかるかのバランスで決められていることが多くあります。そのため、決算書の利益は、事業そのものの稼ぐ力とずれていることがよくあります。

買い手が知りたいのは、オーナーが退任した後、後任の経営者や管理職を置いて普通に経営したときの利益です。そこで、財務DD(デューデリジェンス)では次の2つを確認します。

  • 役員報酬:退任するオーナーや家族役員の報酬を、引き継いだ後に必要な人件費に置き換える
  • 個人経費:事業に関係のない支出を取り除く

正常化した利益(正常EBITDA)の全体像は正常EBITDAとは:調整項目の考え方で解説しています。この記事では、そのうち役員報酬と個人経費に絞って、税務の論点とあわせて掘り下げます。

役員報酬の正常化:上がる場合も、下がる場合もある

会社の状況正常化の考え方利益への影響
社長の報酬が業界水準より高い後任の社長・幹部の人件費との差額を足し戻す上がる
社長の報酬が極端に低い(会社に利益を残している)後任者を雇うには相場の報酬が必要。差額を差し引く下がる
経営に関与していない家族役員がいる退任すれば不要になる報酬を足し戻す上がる
社長が営業・技術の中心を兼ねている社長の役割を担う人材を新たに雇う費用を差し引く下がる
売却後も社長が一定期間残る引継ぎ期間の報酬や顧問料を見込む一時的に下がる

注意したいのは、全額を足し戻せるわけではないという点です。社長が年3,000万円の報酬を取っていても、後任の社長に1,200万円、営業部長の採用に800万円が必要なら、足し戻せるのは差額の1,000万円です。反対に、社長が会社のために報酬をほとんど取っていなかった会社は、正常化すると利益が減り、想定より価格が下がることがあります。

家族役員の報酬は「職務の実態」で見られる

配偶者や子どもが役員として報酬を受け取っている会社も少なくありません。M&Aでは、売却後に退任する家族役員の報酬は足し戻されますが、同時に買い手は「実際に働いていたのか」を確認します。働いていた実態があれば、その業務を担う人の人件費が別に必要になるからです。

この「職務の実態」は、税務調査でも同じように問われます。

個人経費の正常化:足し戻しと税務リスクは表裏一体

会社が負担しているオーナー個人の支出は、正常化の計算では「引き継いだ後は発生しない費用」として利益に足し戻されます。代表的なものを整理します。

支出の例正常化での扱い税務上のリスク
家族が使う車両の費用足し戻す役員への経済的利益として給与とされる可能性
個人的な会合・付き合いの交際費足し戻す役員給与・損金不算入、源泉所得税
オーナーが受取人の保険料足し戻す(解約・名義変更を検討)給与課税の可能性
社宅の家賃(相場より安い自己負担)相場との差を検討差額が給与とされる可能性
オーナー所有の不動産の賃料相場の家賃に引き直す(上げ下げ両方)高すぎれば給与・寄附金の問題

ここで大事なのは、足し戻しで利益が増える面と、税務リスクで価格や契約条件が厳しくなる面が、同時に起きるということです。株式譲渡で会社ごと売る場合、過去の申告の誤りによる追徴税額は、売却後も会社に残ります。買い手は、その分を価格から差し引くか、表明保証や補償の条項で売り手に負担を求めます。税務DDの見方は税務DDで見られるポイントで詳しく扱います。

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税務上どう扱われたか:国税不服審判所の裁決事例

役員報酬と個人的な支出について、国税不服審判所が公表している裁決を紹介します(いずれも国税不服審判所ウェブサイトで確認したもの)。

裁決事案の概要判断
平成17年12月19日裁決(裁決事例集No.70 215頁)非常勤取締役である代表者の母への報酬。会社は「よき相談相手」として経営に参画していると主張客観的な裏付けがなく、決められた仕事もない。類似法人の非常勤取締役の平均報酬額を超える部分は不相当に高額
平成20年11月14日裁決(裁決事例集No.76 285頁)代表者の妻である役員への報酬。従事日数は月2〜3日重要な職務に従事しておらず、報酬は類似法人の平均額に比べて極めて高額。平均額を超える部分は損金不算入
平成29年4月25日裁決代表取締役への役員給与が、同業類似法人の代表者の最高額を上回っていた最高額を超える部分は不相当に高額。ただし類似法人に業種の異なる法人が含まれていたため、原処分の一部を取り消し
平成14年6月13日裁決(裁決事例集No.63 309頁)入退院を繰り返していた取締役会長の報酬・退職給与を、課税庁は非常勤として過大と主張相当程度の頻度で職務に従事しており常勤と認め、過大ではないと判断。一方、見舞金のうち類似法人の水準を超える部分は賞与とされた
平成27年7月28日裁決代表者が青年会議所の会議に出席するための交通費・宿泊費・日当を、会社が旅費交通費として計上事業の遂行上必要な費用とはいえず、代表者への給与。損金に算入できず、源泉所得税の納税告知も(一部取消し)

裁決から読み取れること

1つ目は、家族役員の報酬は「職務の実態」と「類似法人との比較」で判断されるということです。肩書きや「相談に乗っている」という説明だけでは足りず、何をどれだけしていたかを示す記録が求められています。逆に、平成14年の裁決のように、実際に職務に従事していたと認められれば、過大とはされていません。

2つ目は、個人的な支出は、会社の経費から「役員への給与」に変わるということです。平成27年の裁決は、会社が負担した費用が事業の遂行上必要なものではなく、役員が個人的に負担すべきものであれば、会社が役員に経済的な利益を与えたものとして給与に当たる、という考え方を示しました。この場合、毎月同額で支給する定期同額給与などに当たらないため損金に算入できず(法人税法34条1項)、会社には源泉徴収の義務も生じます。源泉所得税を期限までに納めていなければ、不納付加算税の対象にもなります。

不相当に高額な役員給与の判定基準は、法人税法施行令70条に定められています。役員報酬の水準の考え方は役員報酬の決め方もご覧ください。

売却前に整えておきたいこと

正常化は、買い手がDDで行うものですが、売り手が事前に整理しておくと、交渉がずっと進めやすくなります。

  1. 個人経費を洗い出し、会社の経費から外す:事業に関係のない支出は、できるだけ早く個人負担に切り替える。過去分は、正常化の説明資料として一覧にしておく
  2. 家族役員の職務と報酬の根拠を整理する:勤務日数、担当業務、議事録などを確認する。売却後に退任するか残るかも決めておく
  3. 役員報酬の改定は時期に注意する:定期同額給与は、原則として事業年度開始から3か月以内の改定に限られる。期の途中で下げると、損金算入に影響することがある
  4. オーナー所有の不動産や関連会社との取引を相場に合わせる:家賃や取引価格の根拠を説明できるようにする
  5. 退職金の扱いを決める:売却時に役員退職金を支給するかどうかは、株式の価格と手取り額に直結する。考え方は退職金スキームとはで解説している

役員報酬を急に変えたり、個人経費を一度に外したりすると、「なぜ今年だけ利益が多いのか」と買い手に疑問を持たれます。2〜3期かけて自然な形に整えるのが理想です。

銀行から見た役員報酬と個人経費

中小企業の融資では、銀行が代表者の役員報酬と会社の利益をあわせて返済余力を見ることがあります。一方で、個人的な支出が多い会社は、決算書の信頼性そのものが低く見られます。代表の相亰の著書のモデルでは、銀行格付けを安全性・収益性・成長性・返済能力の4分野・129点満点で評価しますが、どの分野も決算書の数字が実態を表していることが前提です。

M&Aで買い手が買収資金を借りる場合も、銀行は正常化した利益をそのまま認めるとは限らず、根拠を確認します。個人経費を整理し、役員報酬の根拠を説明できる会社は、売却でも融資でも評価されやすくなります。決算書の見せ方については銀行格付けを上げるにはもご覧ください。

まとめ

  • 役員報酬と個人経費の正常化は、「社長が抜けた後の利益」を出すための作業。上がる方向にも、下がる方向にも調整される
  • 個人的な経費の足し戻しは、税務上は役員給与・源泉所得税のリスクと表裏一体
  • 国税不服審判所は、職務の実態が乏しい家族役員の報酬について、類似法人の平均額などを超える部分を損金不算入とした裁決を公表している
  • 売却前の見直しは、定期同額給与のルールと売却時期をあわせ、2〜3期かけて行うのが理想
  • 実態に合った決算書は、売却でも融資でも評価を上げる

クレフティでは、売却前の役員報酬・個人経費の整理、正常化した利益の試算、過去の申告の税務リスクの確認をお手伝いしています。初回のご相談は無料で、担当者がお話を伺い、その後は担当の公認会計士・税理士が対応します。詳しくは事業承継・M&A支援をご覧ください。

よくある質問

社長の役員報酬を下げてから売れば、会社は高く売れますか?
数字の上で利益が増えても、買い手は財務DDで「社長が抜けた後に本当に必要な人件費」を見積もり直すため、報酬を下げただけで価格が上がるとは限りません。また、事業年度の途中で役員報酬を下げると、定期同額給与の要件との関係で損金算入に問題が生じることがあります。報酬の見直しは、売却の時期から逆算し、顧問税理士と確認してから行うのが安全です。
会社で払っている社長個人の車や保険の費用は、M&Aではどう扱われますか?
事業に使っていないものは、買い手の正常化の計算では「引き継いだ後は発生しない費用」として利益に足し戻されるのが一般的です。ただし同時に、税務上は役員への給与(経済的利益)とされ、法人税の損金不算入や源泉所得税の問題になるリスクとしても見られます。足し戻しで価格が上がる面と、税務リスクで価格や契約条件が厳しくなる面の両方があります。
働いていない家族役員の報酬は、税務上どこまで認められますか?
法人税法34条2項は、不相当に高額な部分の役員給与を損金に算入しないと定めています。国税不服審判所の裁決では、職務の実態が乏しい家族役員について、同業の類似法人の役員報酬の平均額などを超える部分を損金不算入とした例が複数あります。勤務の実態や職務の内容を説明できる記録を残すことが大切です。

※本記事は2026年10月18日時点の法令・制度に基づく一般的な解説です。個別の状況により結論が異なるため、実行前に専門家へご相談ください。

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