会社を売るオーナーから、「株式の代金の一部を、退職金として受け取ったほうがよいと聞いた」というご相談をよくいただきます。M&Aで使われるいわゆる退職金スキームです。中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」も、中小M&Aは代表者交代のタイミングであることから、代表者への役員退職慰労金の支払と組み合わせて行うこともあると記載しています。
ただし、この設計は「退職金にすれば得」という単純な話ではありません。税率の違いだけを見ると逆に不利になる場合があり、税務調査では本当に退職したのか、金額が過大ではないか、いつの損金かが争われてきました。この記事では、退職金スキームの仕組みを数字で確認したうえで、国税不服審判所の公表裁決と裁判例を一覧にして、どこで否認されたのかを解説します。
- 退職金スキームは、株式価値の一部を会社が払う役員退職金に置き換え、残りを株式の代金として受け取る設計
- 売り手個人の税率だけでみると、退職金が大きくなるほど有利さは薄れ、逆転することもある。効果の中心は会社が退職金を損金に算入できること
- 否認の論点は3つ。①実質的に退職したか(会長・顧問として残る場合)、②金額が不相当に高額でないか(功績倍率)、③損金算入の時期と手続
- 裁決・判例では、報酬を半額以下にしても、重要な決定への関与が続けば退職給与と認められなかった例がある一方、関与の実態がないと認められた例もある
退職金スキームの仕組み
M&Aの価格は、事業価値(企業価値)から有利子負債などを差し引いた株式価値で決まります。退職金スキームでは、この株式価値の一部を、買収の前後に会社から売り手の社長に払う役員退職金に置き換えます。
| 退職金なし | 退職金スキーム | |
|---|---|---|
| 株式価値 | 5億円 | 5億円 |
| 会社が払う役員退職金 | - | 1億円 |
| 株式の代金 | 5億円 | 4億円(退職金で会社の現預金が減る分、株式価値が下がる) |
| 売り手が受け取る額(税引前) | 5億円 | 5億円 |
会社にとって退職金は、不相当に高額な部分を除き損金になります。買い手から見ると、買収した会社の法人税等が退職金の分だけ減るため、その効果を見込んで価格を調整する余地が生まれます。売り手から見ると、受け取る額の一部が退職所得になります。退職所得は、退職所得控除を差し引いた残りの2分の1が課税対象となり、ほかの所得と分けて計算されます(所得税法30条)。ただし、役員としての勤続年数が5年以下の場合は、2分の1課税は適用されません(特定役員退職手当等)。
試算:売り手個人の税負担はどう変わるか
勤続30年の社長が、資本金1,000万円で設立した会社を2026年中に売る、という仮の例で概算します(退職所得控除は1,500万円。住民税を含み、ほかの所得や控除は考えません)。
| 退職金なし | 退職金1億円 | 退職金2億円 | |
|---|---|---|---|
| 株式の譲渡益に対する税金(20.315%) | 約9,950万円 | 約7,920万円 | 約5,890万円 |
| 退職所得に対する税金 | - | 約1,890万円 | 約4,690万円 |
| 売り手の税金の合計 | 約9,950万円 | 約9,810万円 | 約1億580万円 |
| 会社の損金算入額 | - | 1億円 | 2億円 |
この条件では、退職金1億円なら売り手の税金はわずかに減りますが、2億円にするとかえって増えます。退職所得の2分の1課税があっても、課税退職所得が4,000万円を超える部分には所得税45%(復興特別所得税を含めて45.945%)と住民税10%がかかるためです。この例の条件では、売り手個人の負担率が株式の譲渡益の20.315%と並ぶのは、退職金がおよそ1億2,000万円のあたりです。
つまり、退職金スキームの効果の中心は、売り手個人の税率よりも、会社が退職金を損金に算入できることにあります。退職金の額と株式の価格の配分は、売り手・買い手双方の税負担を並べて交渉することになります。税率の分岐点の詳しい試算は退職金と株式売却の税率の違いで取り上げます。株式の譲渡益の税金と、2027年分以後に見直される高所得者の追加負担は個人株主が株式を売ったときの税金をご覧ください。
退職金に関するルールの全体像
| 論点 | 主なルール | 根拠 |
|---|---|---|
| 退職給与の損金算入 | 役員給与のうち退職給与は、定期同額給与などの要件なしに損金算入の対象 | 法人税法34条1項 |
| 過大な退職給与 | 業務に従事した期間、退職の事情、同種同規模の法人の支給状況などに照らし、不相当に高額な部分は損金不算入 | 法人税法34条2項、施行令70条2号 |
| 分掌変更による支給 | 常勤から非常勤、取締役から監査役、報酬のおおむね50%以上の減少など、実質的に退職したと同様の事情がある場合は退職給与として扱える(例示)。原則として未払金計上したものは含まない | 法人税基本通達9-2-32 |
| 損金算入の時期 | 株主総会の決議等で額が具体的に確定した日の事業年度。支払った事業年度に損金経理した場合も認められる | 法人税基本通達9-2-28 |
| 受け取る側の所得区分 | 退職により一時に受ける給与なら退職所得。勤続関係が続く場合は「特別の事実関係」が必要 | 所得税法30条、最高裁昭和58年9月9日判決・同年12月6日判決 |
最高裁昭和58年9月9日第二小法廷判決(民集37巻7号962頁)は、退職所得に当たるには、①退職すなわち勤務関係の終了という事実によって初めて給付されること、②従来の継続的な勤務に対する報償ないしその間の労務の対価の一部の後払の性質を有すること、③一時金として支払われること、の3つの要件が必要だとしました。同年12月6日第三小法廷判決(集民140号589頁)は、勤務関係が形式的に続く場合でも、その性質、内容、労働条件等に重大な変動があって、実質的には従前の勤務関係の延長とはみられない特別の事実関係があれば、退職所得と同じに扱えるという基準を示しています。M&Aで会長・顧問として残る場合も、この枠組みで判断されます。
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見る論点①:実質的に退職したか(会長・顧問として残る場合)
M&Aの後も、引継ぎのために売り手の社長が会長や顧問として会社に残ることはよくあります。このとき、退職金が「退職給与」として認められるかが最大の論点です。
| 裁決・判決 | 事案の概要 | 結論 |
|---|---|---|
| 国税不服審判所 昭和56年6月23日裁決(裁決事例集No.22) | 代表取締役から取締役への分掌変更。議事録が真正に作成されたと認められず、登記もされていない | 実質的に退職と同様の事情にあったとは認められず、損金算入を否認 |
| 東京高裁 平成17年9月29日判決(訟務月報52巻8号2602頁) | 代表取締役から非常勤取締役になり報酬を半減。辞任後も経営上の意思決定で中心的な役割 | 自ら経営の中心であり続けたとして、退職給与と認めず |
| 大阪高裁 平成18年10月25日判決(未公刊) | 代表取締役が常勤取締役に、前代表が常勤監査役に。報酬は大幅に減額 | 通達の報酬激減の基準を形式的に満たしても、地位・職務の激変はないとして否認 |
| 東京地裁 平成20年6月27日判決(判例タイムズ1292号161頁) | 筆頭株主の代表取締役が退任し監査役に就任 | 通達の事情は例示にすぎず、具体的事情から実質的に退職と同様と認定。ただし額の確定・支払が当該事業年度でなかったため損金算入は否定 |
| 長崎地裁 平成21年3月10日判決(未公刊) | 代表者の妻が取締役を退任し監査役に。その後は会社の業務にほとんど関与せず | 職務内容が激変し、実質的に退職と同様として納税者の請求を認容 |
| 国税不服審判所 平成29年7月14日裁決 | 代表取締役社長が代表権のない取締役会長に。報酬は半額以下。会社側は権限の移譲や金融機関の個人保証の解除を主張 | 分掌変更後も経営上主要な地位を占め、重要な決定事項に関与していたとして、退職給与に当たらない。源泉所得税の納税告知も適法 |
| 国税不服審判所 令和2年12月15日裁決 | 代表取締役・取締役を辞任した元代表者。税務署は退職後もみなし役員として経営に従事していたと主張 | 退職当時の客観的な証拠がなく、報酬も受けていないとして、退職給与として損金算入を認めた |
東京高裁・大阪高裁・東京地裁・長崎地裁の各判決は、国税庁の税務大学校が公表している研究論文「退職給与の支給に関する課税上の諸問題―役員の分掌変更等の場合における打切支給のケースを中心として―」(税大論叢70号)で紹介されているものです。
判断を分けたもの
この一覧から読み取れるのは、報酬の減額や肩書の変更といった形式だけでは決まらないということです。平成29年7月14日裁決では、報酬を半額以下に減らし、会社側は権限の移譲や金融機関の個人保証の解除も主張していましたが、会長として重要な決定事項に関与していたことが重視されました。逆に令和2年12月15日裁決では、税務署が主張した関与の事実に、退職当時の客観的な証拠がないことが決め手になっています。
M&Aの場面に当てはめると、次の点が確認されることになります。
- 代表権を持っていないか。銀行や主要取引先との交渉の窓口になっていないか
- 取締役会や経営会議で、重要な決定に関わっていないか
- 残る場合の報酬が、役割に見合った水準まで下がっているか
- 顧問契約の業務内容(引継ぎ、技術指導など)と期間が書面で明確か
- 社内外への説明(挨拶状、組織図、名刺)が退職の事実と合っているか
売却後の関わり方は売却後、オーナーは会社に残るのかで、実務の詳細は「実質的に退職した」と認められる実務で解説します。分掌変更の裁決は役員退職金が否認されるケースでもまとめています。
受け取る側(所得税)で退職所得と認められた例
所得税の側でも、勤務関係が形式的に続いていても退職所得と認められた例があります。平成15年6月25日裁決(裁決事例集No.65)は、3社の対等合併に伴い、存続会社の専務取締役が合併後の会社の代表取締役に就いた際に打切り支給された役員退職慰労金について、職務の内容または地位が激変した者に当たるとして退職所得と認めました。平成26年12月1日裁決は、学校法人の園長兼理事長が、園長の職務のほとんどを副園長に引き継ぎ、基本給も減額された事案で、勤務関係に重大な変動があったとして退職所得と認めています。いずれも、形式ではなく職務と地位の実質的な変化を具体的に認定しています。
論点②:金額が不相当に高額でないか
退職金の額が過大とされると、その部分は損金不算入となり、会社の法人税が増えます(売り手個人の退職所得の扱いとは別の問題です)。実務では、次の功績倍率法で相当額を検討することが多くあります。
| 裁決 | 争点 | 判断 |
|---|---|---|
| 昭和59年12月25日裁決(裁決事例集No.28) | 設立以来、実質的に社長代理として貢献した専務取締役への退職金 | 類似法人の平均に近い功績倍率3倍による計算に不合理はなく、過大ではない |
| 昭和61年9月1日裁決(裁決事例集No.32) | 最終報酬月額が在職中の貢献を反映していない場合の計算方法 | 最終報酬月額が特段の事情で低額なら、1年当たり平均額法の方が合理的 |
| 平成2年12月20日裁決(裁決事例集No.40) | 業務上の事故で死亡した代表者の遺族への退職金 | 比較法人の平均功績倍率による額に、業務上死亡の事情を考慮して加算した額を超える部分は過大 |
| 平成19年11月15日裁決(裁決事例集No.74) | 創業以来の代表取締役に功績倍率3.6倍、その妻に3.3倍を主張 | 比較法人3社の平均功績倍率1.9を採用。裁判例・裁決例と違うというだけで不相当に低率とはいえない |
平成19年11月15日裁決は、「裁判例や裁決例で功績倍率3倍台は定着している」という主張を退けています。功績倍率に決まった数字はなく、同業・同規模の法人の支給状況との比較で判断されることを示しています。M&Aの直前に社長の報酬を大きく引き上げると、最終報酬月額の根拠を説明しにくくなります。過大退職金の判例は役員退職金の金額が過大とされた判例で詳しく取り上げます。
税金を払えない会社からの退職金:令和5年12月14日裁決
令和5年12月14日裁決は、国税を滞納していた会社が、不動産や生命保険契約の契約上の地位を役員退職慰労金として役員に支給した事案です。審判所は、平均功績倍率法による相当額などと比べて、支給の額が役員の職務執行・功労との対価的均衡を著しく欠くとして、著しく低い額の対価による譲渡(国税徴収法39条)に当たるとし、受け取った元役員に第二次納税義務を課した処分を適法としました。会社の資産を退職金の名目で移しても、会社の税金の負担から逃れられるわけではありません。
論点③:損金算入の時期と手続
| 裁決・判決 | 内容 |
|---|---|
| 平成13年11月13日裁決(裁決事例集No.62) | 役員規定で社員総会の承認が必要とされていたのに、事業年度中に承認決議がなかった。退任しても退職慰労金の債務は確定していないとして、未払計上による損金算入を否認 |
| 東京地裁 平成20年6月27日判決 | 実質的な退職は認めたが、額の確定も支払も当該事業年度ではなかったため、その事業年度の損金算入は否定 |
M&Aでは、退職金をクロージングの前に売り手が支配している会社で決議・支払うのか、クロージングの後に買い手の下で支払うのかで、どの事業年度の損金になるか、誰がその効果を得るかが変わります。株主総会の決議、議事録、支給額の根拠、源泉徴収(「退職所得の受給に関する申告書」の提出)まで、株式譲渡契約のスケジュールと一緒に組み立てる必要があります。分掌変更の場合、未払金に計上しただけのものは原則として退職給与に含まれない点にも注意が必要です(法人税基本通達9-2-32の注)。
銀行と買い手から見た退職金スキーム
退職金を払えば、会社の現預金は減ります。買い手が買収資金を借りる場合、銀行は買収後の会社の返済能力を見ます。著書のモデルでは、債務償還年数を「(借入金−現預金)÷(経常利益+減価償却費−法人税等)」で計算しますが、退職金で現預金が減れば分子が増え、数字は悪化します。退職金の原資を会社の借入でまかなう場合は、なおさらです。
また、クロージングの数年後に多額の退職金を払う設計は、退職の実質や、株式の代金との関係が問われやすくなります。詳しくは譲渡の数年後に多額の退職金を払うのはなぜ危ないかをご覧ください。
- 売り手個人の税負担と、会社の損金算入の効果の両方を試算したか
- 役員としての勤続年数は5年を超えているか(5年以下なら2分の1課税なし)
- 退職後に残る場合、代表権・決裁権限・報酬・業務内容を書面で整理したか
- 金額の根拠(最終報酬月額・勤続年数・功績倍率)を、同業・同規模の水準で説明できるか
- 株主総会の決議、議事録、支給の時期と事業年度、源泉徴収を確認したか
- 退職金の分だけ株式の代金を下げることを、株式譲渡契約に明記したか
まとめ
- 退職金スキームは、株式価値の一部を会社からの役員退職金に置き換える設計。中小M&Aガイドラインも組み合わせに触れている
- 売り手個人の税率だけでは有利とは限らない。効果の中心は会社の損金算入で、配分は双方の税負担を試算して決める
- 実質的な退職の判断は形式ではなく実態。報酬を半額以下にしても、重要な決定への関与が続けば否認された(平成29年7月14日裁決、東京高裁平成17年9月29日判決など)
- 金額は功績倍率法などで同業・同規模の水準と比べられる。平均功績倍率1.9が採用された裁決もある
- 決議と支払の時期、議事録、源泉徴収まで、株式譲渡のスケジュールと一体で設計する
クレフティの代表の相亰はベンチャーのM&A仲介会社で役員を経験し、品質管理担当の藤倉真人(税理士)はM&Aと相続対策の税務相談を担当しています。事業承継・M&A支援では、退職金と株式の代金の配分の試算、功績倍率の根拠づくり、退職後の関わり方の整理をご相談いただけます。役員退職金の基本は不動産法人の役員退職金(功績倍率法と裁判例)や役員報酬の設計もあわせてご覧ください。初回のご相談は無料で、担当者がお話を伺います。
