会社を売るとき、オーナー経営者の手取りを増やす方法として知られているのが、株式の売却代金の一部を役員退職金に置き換える方法です。いわゆる退職金スキームで、退職金は税金の計算で優遇されているため、同じ金額を受け取るなら株式の代金より手取りが多くなる場合があります。
ただし、「退職金は得だから、できるだけ多く払えばよい」というわけではありません。退職金にも累進税率がかかるため、ある金額を超えると、かえって株式で受け取るほうが有利になります。この記事では、国税庁の資料で退職所得と株式譲渡の税金の計算方法を確認し、勤続年数別に「いくらから、どちらが得か」を試算します。
- 株式の譲渡益は20.315%(所得税15.315%・住民税5%)の分離課税。退職金は(収入−退職所得控除)×1/2に累進税率がかかる
- 試算(役員勤続30年)では、退職金の実質税率は5,000万円で約12.2%、1億円で約18.9%。約1億1,900万円を超えると20.315%を上回る
- ただし、退職金を払えば株価もほぼ同額下がる。1円増やすごとの税率(限界税率)が20.315%を超えると、それ以上増やしても得にならない。勤続30年なら、退職金が約3,300万円を超える部分から限界税率が上回る
- 買い手が退職金の損金算入による税負担の軽減を価格に反映するなら、退職金を増やす効果は大きくなる。ここが価格交渉の論点
- 金額は適正額の範囲で、実質的に退職していることが前提。過大な部分は損金にならない
2つの税金の計算方法
株式の譲渡所得
個人が非上場株式(一般株式等)を売った場合の譲渡益は、他の所得と分けて税金を計算する申告分離課税です。税率は20%(所得税15%・住民税5%)で、所得税には復興特別所得税(所得税額の2.1%)が加わるため、合計20.315%になります(国税庁タックスアンサーNo.1463)。
退職所得
退職金は、原則として次のように計算します(国税庁タックスアンサーNo.1420、令和8年4月1日現在)。
| 勤続年数(A) | 退職所得控除額 |
|---|---|
| 20年以下 | 40万円×A(80万円に満たない場合は80万円) |
| 20年超 | 800万円+70万円×(A−20年) |
勤続年数の1年未満の端数は1年に切り上げます。退職所得は他の所得と分けて税額を計算し、「退職所得の受給に関する申告書」を出していれば、源泉徴収で課税が完結するのが原則です。住民税は退職所得の10%です。
次の2つは、2分の1の計算が制限されます。
| 区分 | 内容 |
|---|---|
| 特定役員退職手当等 | 役員等としての勤続年数が5年以下の人の、その期間に対応する退職金。2分の1の計算なし |
| 短期退職手当等 | 役員等以外としての勤続年数が5年以下の退職金。控除後の金額のうち300万円を超える部分は2分の1の計算なし |
なお、令和8年度税制改正で防衛特別所得税が創設され、復興特別所得税の税率の引下げと課税期間の延長が行われましたが、国税庁は、合計の税率に変更はなく、源泉徴収税額の計算方法は変わらないとしています(令和9年以後に適用)。
退職金の実質税率:勤続年数別の試算
所得税(復興特別所得税を含む)と住民税を合わせた税額と、退職金に対する実質税率を試算しました(特定役員退職手当等には当たらない前提)。
| 退職金 | 勤続30年(控除1,500万円):税額 | 実質税率 | 勤続20年(控除800万円):税額 | 実質税率 |
|---|---|---|---|---|
| 3,000万円 | 約186万円 | 約6.2% | 約324万円 | 約10.8% |
| 5,000万円 | 約608万円 | 約12.2% | 約782万円 | 約15.6% |
| 8,000万円 | 約1,367万円 | 約17.1% | 約1,545万円 | 約19.3% |
| 1億円 | 約1,888万円 | 約18.9% | 約2,084万円 | 約20.8% |
| 1億5,000万円 | 約3,287万円 | 約21.9% | 約3,482万円 | 約23.2% |
| 2億円 | 約4,685万円 | 約23.4% | 約4,881万円 | 約24.4% |
実質税率が株式の20.315%と並ぶのは、試算では勤続30年で約1億1,900万円、勤続20年で約9,300万円、勤続10年で約7,600万円です。
退職金を払うと、株価も下がる
ここで注意したいのは、退職金は会社のお金から払うため、払った分だけ会社の純資産が減り、株式の価格も下がることです。「株式代金3億円」が「退職金1億円+株式代金2億円」になるのが基本で、退職金が上乗せされるわけではありません。
一方で、会社は退職金を損金に算入できるため、法人税等が減ります。買い手がこの税負担の軽減分を価格に反映するかで、結果は大きく変わります。勤続30年、取得費はごくわずかという前提で、株式だけで受け取る場合と比べた手取りの増減を試算します(法人税等の実効税率は仮に30%)。
| 退職金 | A:株価が退職金と同額下がる場合 | B:株価が退職金×(1−30%)だけ下がる場合 |
|---|---|---|
| 2,000万円 | 約+366万円 | 約+844万円 |
| 3,000万円 | 約+423万円 | 約+1,140万円 |
| 5,000万円 | 約+408万円 | 約+1,603万円 |
| 1億円 | 約+144万円 | 約+2,534万円 |
| 1億5,000万円 | 約−239万円 | 約+3,347万円 |
| 2億円 | 約−622万円 | 約+4,159万円 |
Aの場合、手取りの増加は退職金3,000万円台で頭打ちになり、1億円を超えるあたりからマイナスに転じます。Bの場合は、退職金を増やすほど手取りが増えます。実際の交渉は、AとBの間のどこかで決まることが多く、「退職金の損金算入の効果を、売り手と買い手でどう分けるか」が価格交渉の論点になります。買い手がその効果を受けるには、対象会社に課税所得があること(または繰越欠損金を使えること)が前提です(M&Aと繰越欠損金参照)。
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見る「いくらから」は限界税率で考える
「どこまで退職金を増やすと得か」は、退職金を1円増やしたときにかかる税率(限界税率)で判断します。退職所得は控除後の金額の2分の1に累進税率がかかるため、退職金1円あたりの限界税率は「(所得税率×1.021+住民税10%)÷2」です。
| 退職所得(控除後×1/2)の水準 | 所得税率 | 退職金1円あたりの限界税率 |
|---|---|---|
| 195万円以下 | 5% | 約7.6% |
| 195万円超〜330万円以下 | 10% | 約10.1% |
| 330万円超〜695万円以下 | 20% | 約15.2% |
| 695万円超〜900万円以下 | 23% | 約16.7% |
| 900万円超〜1,800万円以下 | 33% | 約21.8% |
| 1,800万円超〜4,000万円以下 | 40% | 約25.4% |
| 4,000万円超 | 45% | 約28.0% |
上のAの場合(株価が同額下がる)は、限界税率が20.315%を超えたところで、それ以上退職金を増やすと損になります。退職所得900万円は、退職金に直すと「退職所得控除額+1,800万円」です。勤続30年なら約3,300万円、勤続20年なら約2,600万円が、Aの前提で手取りが最大になる退職金の目安です。Bの前提では、退職金を1円増やしても株価は0.7円しか下がらず、失う株式の手取りは約0.558円(0.7円×(1−20.315%))です。限界税率が約44.2%を下回る限り手取りは増えるため、限界税率が最大でも約28.0%の退職金は、適正額の範囲内なら増やすほど有利になります。
上限:適正額と「実質的な退職」
過大な退職金は損金にならない
法人税法34条2項と施行令70条2号は、退職した役員に支給した退職給与のうち、業務に従事した期間、退職の事情、同種の事業を営む事業規模が類似する法人の役員に対する退職給与の支給の状況などに照らして、相当であると認められる金額を超える部分は損金に算入しないとしています。実務では、「最終報酬月額×役員の勤続年数×功績倍率」で妥当性を検討する功績倍率法がよく使われます。
東京高等裁判所平成30年4月25日判決(平成29年(行コ)第334号)は、死亡退職した元代表取締役への退職慰労金4億2,000万円について、課税庁が調査した同業類似法人の平均功績倍率3.26による金額を超える部分を不相当に高額とした処分を適法とし、平均功績倍率にその半数を加えた倍率までは相当とした第一審の判断を取り消しました。退職金スキームで金額を大きくするほど、この「適正額」の上限にかかる可能性が高まります。
東京高等裁判所 平成30年4月25日判決・平成29年(行コ)第334号ほか。裁判所ウェブサイト(裁判例情報)
会社に残るなら、退職と認められないことも
売却後も代表者や常勤の顧問として残る場合は、退職の実態がないとして、退職金が損金にならない(受け取る側も退職所得にならない)おそれがあります。分掌変更や会長として残る場合の判例・裁決は役員退職金が否認されるケース、金額が過大とされた判例は役員退職金の金額が過大とされた判例で詳しく取り上げます。
大きな売却では、追加の負担も試算する
令和8年度税制改正では、極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置について、基準所得金額から控除する特別控除額を1億6,500万円(改正前は3億3,000万円)に引き下げ、税率を30%(同22.5%)に引き上げることとされ、令和9年分の所得から適用されます(財務省「令和8年度税制改正の大綱の概要」)。
株式の譲渡益だけがある単純なケースで計算すると、追加の負担が生じ始めるのは、改正前の水準では譲渡益が約9億9,000万円、改正後の水準では約3億3,000万円を超えるあたりです。実際には他の所得や控除によって変わるため、退職所得の扱いも含めて個別に試算が必要です。最新の議論は金融所得課税の強化とオーナーへの影響で扱います。
会社と銀行の目線
退職金は会社の手元資金から払うのが基本です。資金が足りなければ、買い手の資金や借入で払うことになり、買収後の会社の借入が増えます。退職金を払った期は大きな赤字になり、純資産も減るため、決算書の見た目は悪化します。
著書のモデルでは、債務償還年数「(借入金−現預金)÷(経常利益+減価償却費−法人税等)」が10年以内を健全の目安としています。退職金は一時的な支出なので、金融機関は通常、経常的な収益力とは分けて見ますが、そのためには一時的な支出であることを決算書と説明資料で示すことが大切です。役員報酬と退職金の設計全体は役員報酬の決め方も参考になります。
まとめ
- 株式の譲渡益は20.315%、退職金は(収入−控除)×1/2に累進課税。役員勤続5年以下は2分の1の計算なし
- 試算(勤続30年)では、退職金の実質税率は1億円で約18.9%、約1億1,900万円で20.315%と並ぶ
- ただし退職金を払えば株価も下がる。限界税率で見ると、株価が同額下がる前提では勤続30年で約3,300万円が手取り最大の目安
- 買い手が損金算入の効果を価格に反映すれば、退職金を増やす効果は大きくなる。効果の分け方が交渉の論点
- 金額は適正額の範囲で、実質的な退職が前提。大きな売却では令和9年分からの追加負担も試算する
この記事の数字は、一定の前提を置いた試算です。実際の手取りは、取得費、他の所得、会社の課税所得、買い手との価格交渉で変わります。全体の仕組みは退職金スキームとは、株式譲渡の税金は個人株主が株式を売ったときの税金をご覧ください。
クレフティでは事業承継・M&A支援として、退職金と株式の配分を含めた手取りの試算、退職金の適正額の検討、株価算定をお受けしています。初回のご相談は無料です。担当者がお話を伺い、その後は担当の公認会計士・税理士が対応します。
