社長を退いて会長になる。代表権は後継者に渡し、自分は相談役として週に何日か顔を出す。事業承継やM&Aの後によくある形です。このとき会社が退職金を払うと、税務調査で必ずといってよいほど確認されるのが、「本当に実質的に退職したのか」という点です。
会社に籍が残る分掌変更(役職の変更)の退職金は、法人税では損金、所得税では退職所得として扱えるかどうかが、実態によって決まります。この記事では、国税庁の通達と、国税不服審判所の公表裁決、国税庁の税務訴訟資料に掲載された判決をもとに、「実質的に退職した」と認められるための実務を整理します。否認された場合の全体像は役員退職金が否認されるケースもあわせてご覧ください。
- 分掌変更の退職金は、地位または職務の内容が激変し、実質的に退職したと同様の事情があるときに限って退職給与になる(法人税基本通達9-2-32)
- 通達の「報酬50%以上の減少」「非常勤化」「監査役への就任」は例示。満たしても否認され、満たさなくても認められることがある
- 判断を分けるのは、決裁権・人事・銀行や取引先との交渉・後任者との報酬の比較・出社の実態
- 否認されると、会社は損金にならず、受け取った側は賞与扱いになり、源泉所得税の追加と不納付加算税も生じうる
- 「退いた」ことを示す記録(議事録、権限規程、銀行への届出、保証の変更)を、支給の前から準備しておく
分掌変更の退職金はなぜ問題になりやすいのか
退職金は、本来は勤務関係が終わったときに払うものです。分掌変更では役員の地位が続いているので、形式だけを見れば「退職」していません。それでも退職金として扱える場合があるのは、最高裁昭和58年12月6日判決などが示したように、勤務関係の性質や内容に重大な変動があり、従前の勤務関係の単なる延長とはみられない特別の事実関係があれば、退職と同じ性質の給与といえるからです(税務大学校論叢70号の整理による)。
法人税の取扱いは、法人税基本通達9-2-32にまとめられています。
| 通達の例示 | 除かれる人(例示に当たらない人) |
|---|---|
| (1) 常勤役員が非常勤役員になった | 代表権を持つ人、代表権はないが実質的に経営上主要な地位を占める人 |
| (2) 取締役が監査役になった | 実質的に経営上主要な地位を占める人、一定の大株主グループの人 |
| (3) 給与が激減(おおむね50%以上の減少)した | 分掌変更の後も経営上主要な地位を占める人 |
(注)として、「退職給与として支給した給与」には、原則として未払金等に計上しただけの金額は含まれないとされています。
ポイントは、どの例示にも「経営上主要な地位を占める人を除く」という条件が付いていることです。オーナー企業では、前社長が株式の大半を持ち、社員や取引先からも「実質的なトップ」と見られ続けることが多いため、この条件が争いになります。
否認された判例・裁決:何が「退いていない」と判断されたか
東京地裁平成29年1月12日判決(棄却)
国税庁の税務訴訟資料(第267号、順号12952)によれば、事案の流れは次のとおりです。
- 前代表取締役が平成23年5月に代表を退き、代表権のない取締役(相談役)になった。会社は退職慰労金5,609万6,610円を払った
- 月額報酬は205万円から70万円へ、約3分の1に下がった。新社長の月額報酬は85万円
- 銀行取引の連帯保証人も、前代表から新社長に変更された
数字だけ見れば通達の(3)に当てはまりそうです。しかし判決は、前代表が退任後も常勤の相談役として毎日出社していたこと、取引銀行の担当者と単独で多数回面談・交渉し、銀行側からも実権を持つ人物と認識されていたこと、親会社の代表者に「報酬が半分になっても2年間は退任前の仕事をそのまま行う」と伝えていたことなどを認定しました。減額後の報酬も新社長と遜色がなく、経営判断への関与と指導・助言の対価とみるべきだとして、報酬の減額は職務内容の激変を示すものとはいえないと判断しています。
平成29年7月14日裁決(棄却)
代表取締役社長が病気をきっかけに辞任し、代表権のない取締役会長になった事案です。報酬は半額以下に下げられ、会社側は、権限をすべて後任者に移し、金融機関への個人保証も解除したと主張しました。原処分庁は、次のような事実を指摘しました。
- 分掌変更後も、ほぼ毎日事業所に出勤し、安全会議で職員を指導していた
- 後任の代表取締役(長女)より高額な役員給与を受け取っていた
- 金融機関との金利交渉や、不動産の活用の提案への対応をしていた
- 幹部の退職や役員の降格など、人事の決定に関与していた
審判所は、地位や職務に相当程度の変動があったことは認めつつ、分掌変更後も経営・業務の主要な地位を占め、取締役として重要な決定事項に関与していたとして、実質的に退職したと同様の事情にはないと判断しました。なお、この役員は約4年後に代表取締役へ復帰しています。
この裁決では、会社が退職所得として源泉徴収していた部分についても、賞与として源泉所得税の納税告知と不納付加算税の処分が行われています。
昭和56年6月23日裁決(裁決事例集No.22)
代表取締役から取締役への分掌変更に伴う退職金について、審判所は、臨時株主総会・取締役会の議事録が真正に作成されたものと認められないこと、代表取締役辞任の登記がされていないこと、分掌変更後の報酬の支給状況などから、実質的に退職と同様の事情にあったとは認められないとしました。手続きの記録そのものが疑われると、実態の議論に入る前に不利になります。
認められた判例・裁決:何が「退いた」証拠になったか
| 判決・裁決 | 変更の内容 | 認められた主な理由 |
|---|---|---|
| 東京地裁平成20年6月27日(税資258号順号10977、確定) | 代表取締役(約15年)→取締役辞任→監査役 | 病状の悪化で業務が減り、監査役就任後は会社の業務を行わなくなった。主要な業務は現代表が担った。筆頭株主(35%)であることや現社長の父であることは、抽象的な影響の可能性にすぎないとされた |
| 長崎地裁平成21年3月10日(税資259号順号11153、一部認容・確定) | 取締役→監査役 | 監査役就任後は会計監査の業務にとどまり、ほかの業務にほとんど関与しなくなった。別会社を設立して毎日そちらに出勤していた。通達が大株主を例示から除いていても、例示にすぎず実態で判断すべきとされた |
| 令和2年12月15日裁決(取消し) | 代表取締役・取締役を辞任(完全な退任) | 原処分庁は退任後もみなし役員として経営に従事していたと主張したが、退職当時の客観的な証拠がなく、退任後は報酬も受けていなかった。退職金7億2,500万円の損金算入が認められた |
認められた事例に共通しているのは、後任者が実際に業務を担っていることと、本人の関与が具体的な事実で否定できることです。逆に、税務署側が「影響力がありそうだ」という抽象的な可能性しか示せない場合は、納税者の主張が通っています。
- 東京地裁平成29年1月12日判決:国税庁 税務訴訟資料(PDF)
- 平成29年7月14日裁決:国税不服審判所/令和2年12月15日裁決:国税不服審判所/昭和56年6月23日裁決:役員退職給与の公表裁決要旨
- 東京地裁平成20年6月27日判決:税務訴訟資料(PDF)/長崎地裁平成21年3月10日判決:税務訴訟資料(PDF)
- 判例の動向の整理:税務大学校論叢70号「退職給与の支給に関する課税上の諸問題」(東京高裁平成17年9月29日判決など、通達の例示を形式的に当てはめた主張が退けられた例も紹介)
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見る判断を分ける5つのポイント
判例・裁決で見られている事実を、実務で確認しやすい形に並べると次のとおりです。
| ポイント | 「退いた」と言いやすい状態 | 否認につながりやすい状態 |
|---|---|---|
| 1. 代表権と決裁 | 代表権を外し、稟議・支払・契約の決裁者を後任者に変えた | 決裁規程が変わらず、重要案件は前社長の了承を得ている |
| 2. 人事 | 採用・降格・役員人事を後任者が決める | 幹部の処分や役員の選任に前社長が関わる |
| 3. 銀行・取引先 | 銀行の窓口と保証人を後任者に替え、取引先にも交代を周知した | 銀行担当者が前社長を「実権者」と見ている、単独で融資交渉をする |
| 4. 報酬 | 大幅に減り、後任者より明確に低い | 後任者と同程度か、それより高い |
| 5. 勤務の実態 | 出社は限定的で、役割が助言や特定の業務に限られる | ほぼ毎日出社し、会議を主導する |
報酬の減額は「入口」にすぎません。東京地裁平成29年判決も平成29年裁決も、報酬は大きく減っていたのに否認されています。とくに銀行との関係は記録が残りやすく、調査で確認されやすい部分です。保証人の変更だけでなく、交渉の窓口が誰かも見られます。
「実質的な退職」を記録で示すための準備
退職金を払う前に、次の書類と手続きをそろえておきます。
- 株主総会・取締役会の議事録:代表取締役の辞任、新代表の選任、退職慰労金の支給額と支給時期の決議。登記も遅れずに行う(昭和56年裁決では、議事録の真正さと登記がないことが問題になった)
- 職務権限規程・決裁規程の改定:決裁者を後任者に変えた日付が分かるようにする
- 会長・相談役の役割を書いた書面:担当する業務を具体的に限定し、経営判断に加わらないことを明記する
- 金融機関への届出:代表者変更の届出、保証人の変更、交渉窓口の変更。経営者保証の扱いは事業承継と経営者保証も参照
- 取引先・社内への周知:交代の挨拶状や社内通知
- 退任後の報酬の根拠:減額後の金額が、限定された職務に見合うことを説明できるようにする
退職金の金額そのものの妥当性(功績倍率・最終月額報酬)は別の論点です。役員退職金の金額が過大とされた判例で整理しています。
分割支給と未払計上の注意
資金繰りの都合で退職金を分けて払う会社もあります。東京地裁平成27年2月26日判決(税資265号順号12613、確定)は、創業者が代表取締役から非常勤取締役になり(月額報酬87万円→40万円)、退職慰労金2億5,000万円のうち7,500万円を分掌変更時に、1億2,500万円を翌期に払った事案で、翌期の支払分も退職給与に当たると判断しました。資金に余裕がなく分割にした経緯が認められたためです。
一方で、通達9-2-32の注のとおり、未払金に計上しただけの金額は原則として退職給与に含まれません。分割にするなら、分割にした理由、支払予定、決議の内容を記録に残してください。
否認されたときの影響と、M&A・銀行への波及
否認されると、影響は会社と個人の両方に及びます。
| 立場 | 主な影響 |
|---|---|
| 会社(法人税) | 退職給与ではなく役員給与(賞与)となり、定期同額給与などに当たらないため損金不算入。過少申告加算税・延滞税 |
| 会社(源泉所得税) | 退職所得として計算した源泉税と、賞与として計算した源泉税の差額を納付。不納付加算税 |
| 受け取った個人 | 退職所得控除や2分の1課税が使えず、給与所得として課税される |
M&Aでは、売却前に払った分掌変更の退職金が否認されると、追徴税額を負担するのは買い手が取得した会社です。そのため買い手は税務DDでこの点を確認し、株式譲渡契約の表明保証や特別補償で手当てを求めます(株式譲渡契約書に入れるべき税務リスクの条項)。売却後も会長や顧問として残る場合の考え方は売却後、オーナーは会社に残るのかで解説します。
銀行の目線では、追徴税額は現預金を減らし、決算書に一時的な損失を生みます。著書のモデルでは債務償還年数を「(借入金−現預金)÷(経常利益+減価償却費−法人税等)」で計算し、10年以内を健全の目安としています。退職金は金額が大きい分、否認されたときに財務への影響も大きくなります。
まとめ
- 分掌変更の退職金は、地位・職務が激変し実質的に退職したと同様といえるときだけ退職給与になる
- 通達の例示(報酬50%減、非常勤化、監査役就任)は入口。経営上主要な地位が残っていれば否認される
- 否認例では、毎日の出社、銀行との単独交渉、人事への関与、後任者以上の報酬、代表への復帰が重視された
- 容認例では、後任者が実際に業務を担い、本人の関与が具体的に否定できた
- 議事録・登記・決裁規程・銀行への届出・役割の書面化を、支給前にそろえる
退職金の支給は、事業承継やM&Aの手取りを大きく左右します。クレフティでは事業承継・M&A支援の中で、分掌変更の設計、退職金の金額の検討、銀行への説明までご相談をお受けしています。初回のご相談は無料で、担当者がお話を伺ったうえで、担当の公認会計士・税理士が対応します。不動産を持つ会社の役員退職金は不動産法人の役員退職金もご覧ください。
