「借入も保証も全部引き受けます。株式の代金は1円で構いません。すぐにでも経営を引き継ぎます」。業績が苦しく、後継者もいない経営者にとって、こうした申し出はありがたく聞こえます。ところが、クロージングの直後に会社の現預金が引き出され、仕入先への支払も税金も止まり、買い手とは連絡が取れなくなる。会社は倒産し、外れていなかった経営者保証が、売ったはずの元社長に返ってくる。
こうした手口は、業界では「吸血鬼スキーム」などと呼ばれます。中小企業庁も注意喚起を繰り返し、M&A支援機関の登録取消しまで行われました。この記事では、公的資料で確認できた手口と行政の対応を整理し、売り手が契約前に見抜くための着眼点と、万一のときの手段を解説します。悪質な買い手全般への備えは悪質な買い手・トラブル事例と身を守る方法もご覧ください。
- 中小企業庁の資料は、窮状に乗じて買収し、資金を私的に流出させ、経営者保証を外さず、負債を残して連絡を絶つ手口の存在を指摘している
- 狙われやすいのは、財務が厳しく経営者保証が重い会社と、低い代金・後払いの条件を受け入れやすい売り手
- 見抜く手がかりは、買い手の決算書と資金の出どころ、過去の買収先のその後、そして「保証は後で」「代金は後で」という条件そのもの
- 最大の防衛策は、クロージングと同時の保証解除(または買い手資金での借換え)と、対価のクロージング時の受領
- 被害に遭ったら、すぐに弁護士へ。役員の第三者責任、詐害行為取消、破産手続での否認などが検討される
公的資料で確認できる「吸血鬼スキーム」の手口
中小企業庁が示す手口の骨格
中小M&Aガイドライン(第3版、2024年8月)の参考資料「中小M&A時の経営者保証の取扱いについて」は、譲り渡し側の中小企業の経営困難の窮状等に乗じてM&Aを実施した後、その会社から資金を私的に流出させる一方で、譲り渡し側が負う経営者保証の解除等を行うことなく、会社に負債を残したまま連絡を絶つ、という手口を繰り返す不適切な譲り受け側の存在が少なからず報告されている、と述べています。
ガイドラインの改訂の概要資料でも、M&A後の違法の疑いがある行為として、譲り渡し側の資金を個人口座へ移す例が挙げられ、最終契約で定めた義務の不履行、経営者保証を移行させる想定だったのに移行しないことが、不適切な譲り受け側の問題として示されています。
中小企業庁のチラシの事例
中小企業庁が2024年8月30日に公表した「M&Aに関するトラブルにご注意ください」は、次の事例を紹介しています。
| 段階 | 起きたこと(チラシの【ケース1】) |
|---|---|
| クロージング後 | 売り手が何度依頼しても、契約に基づく個人保証の移行がされなかった |
| その後 | 買い手が売り手の会社の現預金等の資産を回収したが、必要な事業資金を送金しなかった |
| 結果 | 会社は倒産し、経営者保証が残っていた売り手経営者が債務を負い、個人破産に至った |
同じチラシは、クロージング時は低額の譲渡対価で、一定期間後に相当程度の退職慰労金を払う契約が履行されなかった事例も挙げています(譲渡の数年後に多額の退職金を払うのはなぜ危ないか)。
手口の流れを整理すると
公的資料の記述をもとに、売り手から見た流れを整理すると次のようになります。
| 段階 | 買い手の動き | 売り手が置かれる状況 |
|---|---|---|
| 1. 接近 | 経営が苦しい会社に、引受けを申し出る | 早く手放したい気持ちが強く、条件の確認が甘くなる |
| 2. 契約 | 代金は低額・後払い、保証は「後で外す」 | 保証が残ったまま株式と経営権を渡す |
| 3. クロージング直後 | 会社の現預金などを回収し、事業資金を入れない | 経営から離れており、資金の動きが見えない |
| 4. 放置・連絡途絶 | 保証の移行に応じず、連絡を絶つ | 会社の支払が滞り、金融機関から保証人として連絡が来る |
| 5. 倒産 | ― | 保証債務を請求される。後払いの代金や退職金も回収できない |
行政の対応:登録取消しと情報共有
中小企業庁とM&A支援機関登録制度事務局は、2025年1月24日、不適切な譲り受け側とのM&Aを支援した登録M&A支援機関1社の登録を取り消しました。理由は、中小M&Aガイドラインが求める善管注意義務に反する行為(資金力に疑義がある不適切な買手であることを認識しながらM&Aを成立させた等)です。あわせて、同様のM&Aを支援した6社に注意を発出し、適切な対策が図られていない場合は翌年度以降の登録継続を認めないと通知しています。2024年10月にも、15の登録機関に注意が発出されています。
ガイドライン第3版は、仲介者・FAに対し、譲り受け側の財務状況(税務申告書など)、事業実態(商業登記簿など)、反社会的勢力への該当性などを調査するよう求め、業界内で不適切な譲り受け側の情報を共有する仕組みも整えられつつあります。ただし、支援機関の調査にも限界があります。最後に自分を守るのは、売り手自身の確認と契約条件です。
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見る契約前に見抜くための着眼点
ここからは、公的資料の調査項目を踏まえ、会計・税務の立場から売り手が確認したい点を整理します。どれか一つで判断できるものではありませんが、複数が重なったら立ち止まるべきサインです。
条件そのものに表れるサイン
| 提示された条件 | なぜ注意が必要か |
|---|---|
| 「保証はクロージング後に外す」 | 解除の前に経営権を渡すと、売り手は交渉力を失う。中小企業庁は成立と同時の解除を最優先としている |
| 代金は低額・後払い、退職金は数年後 | 中小企業庁が特に注意すべきケースとして挙げている |
| DDをほとんど行わない、すぐ契約したがる | 会社の中身より、会社の資金や信用にしか関心がない可能性 |
| 通帳・印鑑・ネットバンキングの権限を早く渡すよう求める | 資金を動かせる状態を急いでつくろうとしている可能性 |
| 金融機関や専門家への事前相談を嫌がる | 中小企業庁の資料は、遅くともクロージング前までに金融機関への相談を始めるべきとしている。相談自体を避けたがる買い手は、保証を外す気がない可能性 |
買い手の決算書と登記から読み取れること
- 代金と運転資金を払える現預金があるか:決算書の現預金と借入金、資金の出どころ(自己資金か、借入なら金融機関との調整状況)
- 本業の実態があるか:売上の中身、従業員、事業所。本業が小さいのに買収だけが多い会社は要注意
- 過去に買収した会社がその後どうなったか:商業登記簿で、買収先の本店移転、役員の総入れ替え、解散・破産が続いていないか
- 買い手自身の登記の変遷:設立からの期間、商号・本店・役員の頻繁な変更
- 買収後の計画が具体的か:事業資金をどこから、いくら入れるのか。金融機関への説明と同じ水準で説明できるか
銀行の融資審査は、まさにこの「返済の原資と資金の出どころ」を見る作業です。著書のモデルでは債務償還年数を「(借入金−現預金)÷(経常利益+減価償却費−法人税等)」で計算し、10年以内を健全の目安としています。買い手のグループ全体でこの数字が説明できない場合、売り手の会社の資金が、買い手の他の支払に使われるおそれを疑ってよいでしょう。
売り手の防衛策:クロージングの設計
| 防衛策 | 内容 |
|---|---|
| 保証の同時解除・借換え | クロージングと同時に保証を解除する。金融機関の審査が間に合わなければ、買い手の資金で借入を返済(借換え)してもらう |
| 契約での義務化 | クロージング後の解除にするなら、買い手の義務として明記し、解除されない場合の契約解除・買戻しの条項を検討する |
| 対価はクロージング時に | 分割・後払いを避ける。やむを得ない場合は、担保・保証・代金の一部留保を検討する |
| 資金の流出を縛る誓約 | 一定期間、会社から買い手グループへの貸付・配当・管理料の支払を制限する条項 |
| 情報の確保 | 保証が外れるまで、月次の試算表や借入残高の報告を受ける条項 |
保証解除の進め方と書類はM&Aで経営者保証を外すための実務で詳しく解説しています。
被害に遭ったとき:法的な手段と税務の論点
早めに弁護士へ
会社の資金が流出した、保証人として請求を受けた、という段階では、一刻も早く弁護士に相談してください。状況によって、次のような手段が検討されます。
- 保証人としての情報提供請求:委託を受けた保証人は、債権者に、主たる債務の元本・利息の残高や不履行の有無について情報の提供を求めることができる(民法458条の2)
- 役員の第三者に対する責任:新しい役員が職務を行うについて悪意または重大な過失があり、第三者に損害を与えた場合の損害賠償(会社法429条)
- 詐害行為取消・否認:会社の財産を不当に移した行為について、詐害行為取消(民法424条)や、破産手続での管財人による否認が問題になりうる
どの手段が使えるかは、資金の移転の態様や時期、会社の財務状態によって異なります。
税務の論点:滞納と第二次納税義務
資金が抜かれた会社は、税金や社会保険料も滞納しがちです。国税徴収法39条は、滞納者が法定納期限の1年前の日以後に財産を無償または著しく低い額で譲渡した場合などに、その相手方に第二次納税義務を課す規定です。
令和5年12月14日裁決は、吸血鬼スキームの事案ではありませんが、滞納していた会社が元役員に不動産や保険契約などを退職慰労金として支給した事案で、相当額を大きく超える部分を「著しく低い額の対価による譲渡」と判断し、受け取った元役員に第二次納税義務を課した処分を支持しました(国税不服審判所)。会社から財産を移した相手には、税務署が滞納税の負担を求めることがある、という点は知っておくべきです。
まとめ
- 吸血鬼スキームは俗称だが、資金の流出・保証の未解除・連絡の途絶という手口は、中小企業庁の資料で繰り返し指摘されている
- 2025年1月には、こうした買い手との成約を支援した登録M&A支援機関の登録取消しが行われた
- 「保証は後で」「代金は後で」「DDは不要」「通帳と印鑑を早く」は、重なったら立ち止まるサイン
- 買い手の決算書・資金の出どころ・過去の買収先のその後を、自分でも確認する
- 防衛策の中心は、クロージングと同時の保証解除と対価の受領。被害に遭ったら、すぐに弁護士へ
代表の相亰は、ベンチャーのM&A仲介会社で役員を務め、仲介の現場を知る立場にあります。クレフティでは事業承継・M&A支援の中で、買い手の決算書の確認、提示された条件のセカンドオピニオン、保証解除と資金調達の相談をお受けしています。初回のご相談は無料で、担当者がお話を伺ったうえで、担当の公認会計士・税理士やコンサルタントが対応します。経営者保証の一般的な外し方は経営者保証を外す方法もご覧ください。
