オーナー経営の会社では、社長を被保険者とする生命保険を会社で契約していることがよくあります。万一のときの資金や、将来の役員退職金の原資として加入しているものです。
会社を売るときには、この役員保険をどうするかを決めなければなりません。買い手は、元オーナーの死亡に備える保険を必要としないことが多く、売却前に解約するか、社長個人に名義変更するか、そのまま引き継ぐかを決めることになります。どの方法を選ぶかで、会社の法人税、社長個人の所得税、そして株式の価格が変わります。この記事では、法令・通達と最高裁判決、公表裁決をもとに、役員保険の売却前の整理を解説します。
- 選択肢は「解約」「社長への名義変更(売買)」「退職金としての現物支給」「買い手への引継ぎ」の4つ
- 解約すると、解約返戻金と資産計上額の差額が会社の益金(または損金)になる
- 名義変更では、保険契約に関する権利を原則として解約返戻金の額で評価する。ただし令和3年の通達改正で、解約返戻金が資産計上額の70%未満の保険などは資産計上額などで評価する(所得税基本通達36-37)
- 名義変更後に社長が解約すると一時所得。最高裁は、会社が負担した保険料は差し引けないとした
- 保険は株価の計算で解約返戻金に置き換えられる。売却前に整理するかどうかで手取りが変わる
役員保険の4つの選択肢
まず全体像です。
| 方法 | 会社の税務 | 社長個人の税務 | 向いている場面 |
|---|---|---|---|
| 解約 | 解約返戻金と資産計上額の差額が益金(損金) | なし | 保険の役割が終わった。会社に現金を残して株価に反映させたい |
| 社長に名義変更(売買) | 譲渡価額と資産計上額の差額が損益。安く譲ると差額は役員給与 | 適正な価格なら課税なし。安く譲り受けると差額が給与所得 | 社長個人として保障を続けたい。健康状態から新規加入が難しい |
| 退職金としての現物支給 | 退職金として損金(不相当に高額な部分を除く) | 退職所得として課税 | 売却前に役員を退任し、退職金を支給する |
| 買い手に引き継ぐ | 変化なし(受取人・被保険者の変更を検討) | なし | 社長が売却後も役員として残る。保険の内容が買い手にも有用 |
どれが有利かは、保険の種類(定期保険・養老保険・終身保険など)、解約返戻金と帳簿価額の関係、社長の年齢と健康状態、売却後に役員として残るかによって変わります。会社の保険の基本的な経理処理は法人の生命保険で、経営者の万一に備える保険の役割は経営者の万一に備える生命保険と資金繰りで解説しています。
解約する場合:解約返戻金の益金
会社が保険を解約すると、受け取った解約返戻金と、それまで資産に計上していた保険料(保険積立金など)との差額が、会社の益金(または損金)になります。
| 状態 | 会社の税務 |
|---|---|
| 解約返戻金 > 資産計上額 | 差額が益金(雑収入) |
| 解約返戻金 < 資産計上額 | 差額が損金(雑損失) |
保険料の一部または全部を損金にしてきた保険では、資産計上額が小さく、解約すると大きな益金が出ることがあります。売却の直前期に益金が出れば、その期の法人税等が増えます。一方で、解約返戻金は会社の現預金として残り、株式の価格に反映されます。
解約のタイミングは、売却前の最後の決算期に入れるか、売却後の期にするかで、どちらが法人税を負担するか(実質的に売り手か買い手か)が変わります。株式譲渡契約では、売却日までに生じた税金を誰が負担するかを定めることが多いため、解約時期と契約の税金条項をあわせて確認しましょう。契約条項の考え方は株式譲渡契約書に入れるべき税務リスクの条項で扱います。
社長に名義変更する場合:評価のルール
所得税基本通達36-37の評価
会社が役員に保険契約に関する権利を支給(譲渡)した場合の評価は、所得税基本通達36-37に定められています。
| 区分 | 評価額 |
|---|---|
| 原則 | 支給時に保険契約を解除したとした場合の解約返戻金の額(前納保険料・剰余金の分配額等があればその合計額) |
| 支給時の解約返戻金が、支給時の資産計上額の70%未満である保険(法人税基本通達9-3-5の2の適用を受けるもの) | 支給時資産計上額 |
| 復旧できる払済保険など(元の契約が9-3-5の2の適用を受けるもの) | 支給時資産計上額に、払済保険への変更時に損金算入した金額を加えた額 |
かつては、解約返戻金がごく小さい時期(低解約返戻期間)に名義変更し、社長個人に移した後に解約返戻金が大きく増えてから解約する、という使われ方がありました。令和3年の通達改正で、解約返戻金が資産計上額の70%未満の保険については、解約返戻金ではなく資産計上額で評価することになり、この方法の効果は大きく限定されています。
安く譲ると役員給与になる
社長が会社から保険を買い取る場合、上の評価額より低い価格で譲り受けると、差額は会社から社長への経済的な利益として役員給与になります。法人税基本通達9-2-9は、役員に資産を低い価額で譲渡した場合の差額を役員給与とされる経済的な利益の例に挙げています。この給与は定期同額給与に当たらないため、会社では原則として損金に算入されず、社長個人には給与所得として課税され、会社には源泉徴収の義務が生じます。
名義変更の価格は、保険会社から名義変更日時点の解約返戻金の証明を取り寄せ、資産計上額と比べて決めるのが基本です。
名義変更後に社長が解約したとき:最高裁判決と公表裁決
社長が名義変更を受けた後、個人として保険を解約したり満期保険金を受け取ったりすると、一時所得になります。このときに差し引ける金額について、重要な判決・裁決があります。
| 判決・裁決 | 事案 | 判断 |
|---|---|---|
| 最高裁第二小法廷 平成24年1月13日判決(平成21年(行ヒ)第404号) | 会社が保険料を払った養老保険の満期保険金を代表者らが受け取った。保険料の半分は代表者らへの貸付金、残りは会社が損金経理していた | 一時所得の「その収入を得るために支出した金額」に当たるには、収入を得た個人が自ら負担して支出したものであることが必要。会社が損金経理した部分は差し引けない |
| 国税不服審判所 平成27年4月21日裁決 | 法人の代表取締役が、法人から契約上の地位を譲り受けた生命保険を解約し、解約払戻金を受け取った | 法人がその名義で支払った保険料は、一時所得の計算上差し引けない |
| 国税不服審判所 平成13年12月12日裁決(裁決事例集No.62 161頁) | 法人の役員を退任する際、一時払いの生命保険契約上の権利を退職金の一部として受け取り、その後に解約した | 退職時の解約返戻金相当額は退職所得として課税済み。保険料総額を上回るその金額は、一時所得の計算上「収入を得るために支出した金額」に含まれる |
| 国税不服審判所 平成18年6月30日裁決(裁決事例集No.71 299頁) | 法人が契約者で、満期保険金の受取人を請求人とする養老保険の満期保険金 | 法人が費用処理した保険料は、請求人が自ら負担したものではなく、差し引けない |
これらから言えるのは、社長個人が差し引けるのは、社長が自分で負担した金額だということです。名義変更の対価として社長が会社に支払った金額や、退職金として受け取り退職所得として課税された金額は、社長が負担したものとして整理できる余地があります(平成13年の裁決)。一方、会社が払った保険料そのものを差し引けると考えて試算すると、税額を小さく見積もりすぎることになります。
M&A仲介役員・FAS出身の公認会計士の経験をもとに、株主構成の整理、株価算定、親族内承継、外部への売却とデューデリジェンスまで支援します。初回のご相談は無料です。
事業承継・M&A支援を見る退職金として保険を現物で支給する場合
売却にあわせて社長が役員を退任し、退職金を支給するなら、退職金の一部として保険契約を現物で渡す方法もあります。会社は保険の評価額を退職金として計上し、社長はその額を退職所得として課税されます。
この方法には、次の注意点があります。
- 評価額は、名義変更と同じく所得税基本通達36-37による。現金と保険を合わせた退職金の総額で、不相当に高額でないかが判断される
- 退職所得として源泉徴収が必要。現物部分には現金がないため、源泉税を現金部分から確保しておく
- 売却後も役員として残るなら、「実質的に退職したか」が問われる。分掌変更や会長・顧問として残る場合の判断は役員退職金が否認されるケースで詳しく扱う
- 退職金を支給すると会社の純資産が減るため、株式の価格も下がる。退職金と株式の対価の配分は退職金スキームとはで解説している
株価への影響と、買い手に引き継ぐ場合
株価の計算での保険の扱い
M&Aの株式価値を時価純資産で考えるとき、保険は帳簿上の保険積立金ではなく、解約返戻金の額に置き換えるのが一般的です。
| 項目 | 帳簿価額 | 時価(解約返戻金) | 調整 |
|---|---|---|---|
| 保険A(養老保険) | 3,000万円 | 3,400万円 | 含み益400万円(税効果を考慮することもある) |
| 保険B(定期保険、保険料を一部損金) | 500万円 | 1,200万円 | 含み益700万円 |
| 保険C(掛け捨てに近い定期保険) | 0円 | 0円 | なし |
上の表は考え方を示すための仮の例です。買い手は、解約したら会社に入るお金を株価に含めて評価することが多い一方、売却後に解約すれば益金が出て法人税等がかかるため、その税金分を差し引くことを求めてくることがあります。売却前に解約して税金を払い、現金として残すか、解約せずに含み益として評価してもらうかで、売り手の手取りが変わります。現預金や現金同等物の扱いはネットデットと現預金の扱いもご覧ください。
買い手に引き継ぐ場合
社長が売却後も一定期間役員として残る場合や、保険の内容が買い手にとっても有用な場合は、引き継ぐことも考えられます。その場合は、次の点を確認します。
- 死亡保険金の受取人が会社になっているか(家族になっていないか)
- 売却後に社長が退任したら、保険をどうするか(その時点の名義変更や解約の扱いを契約で決めておく)
- 契約者貸付けや自動振替貸付けが残っていないか(実質的な借入金として価格に影響する)
銀行から見た保険
銀行は、決算書の保険積立金を、解約返戻金で置き換えて実質的な純資産を見ることがあります。保険積立金が解約返戻金より大きければ、実質純資産は帳簿より小さく見えます。売却後の会社の融資や、売り手が個人として資金を借りる場面でも、保険の実際の価値を説明できるようにしておくと安心です。
- 会社が契約している保険の一覧(種類・契約日・被保険者・受取人・資産計上額)を作る
- 保険会社から、予定日時点の解約返戻金の額を取り寄せる
- 解約返戻金が資産計上額の70%未満の保険がないか確認する(名義変更時の評価が変わる)
- 解約・名義変更・現物支給・引継ぎのそれぞれで、会社の法人税、社長個人の税金、株価への影響を試算する
- 契約者貸付けの有無、受取人の設定を確認する
- 解約や名義変更の時期と、株式譲渡契約の税金条項(どちらが負担するか)を合わせる
まとめ
- 役員保険は、解約・社長への名義変更・退職金としての現物支給・買い手への引継ぎのどれにするかを、売却前に決める
- 解約すると解約返戻金と資産計上額の差額が会社の益金になる。売却前の期に入れるかで負担者が変わる
- 名義変更は原則として解約返戻金で評価。令和3年の通達改正で、解約返戻金が資産計上額の70%未満の保険などは資産計上額などで評価する。安く譲れば差額は役員給与
- 名義変更後に社長が解約すると一時所得。最高裁平成24年1月13日判決と公表裁決は、会社が負担した保険料は差し引けないとしている
- 保険は株価の計算で解約返戻金に置き換えられる。解約時の税金を誰が負担するかで手取りが変わる
役員保険の整理は、会社の税金、社長個人の税金、株価が同時に動くため、方法ごとの試算が欠かせません。クレフティでは事業承継・M&A支援として、保険の一覧づくりと解約返戻金の確認、方法ごとの手取りの試算をお手伝いしています。初回のご相談は無料で、担当者がお話を伺います。
